前史:被爆以前の県立病院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/12 07:45 UTC 版)
「県立広島病院」の記事における「前史:被爆以前の県立病院」の解説
「広島医科大学#沿革」も参照 1877年(明治10年)5月、県立広島医学校の附属病院として公立広島病院として同校内に開院、その後1887年に医学校は廃止されたが公立病院は存続し、広島県立広島病院と改称した。開設当初から原爆被災までは、広島市水主町(現在の広島市中区加古町)に所在し、県庁(当時)と本川に挟まれた場所(戦後広島市中央卸売市場を経て、現在は広島市文化交流会館(旧称・広島厚生年金会館)が所在)に立地、当時は広島藩以来の古い庭園である与楽園が病院の中庭となっていた。
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