利用者数の減少と事業の縮小
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 22:11 UTC 版)
「富山県営渡船」の記事における「利用者数の減少と事業の縮小」の解説
かつて渡船は24時間運航されていたが、利用者数は1968年(昭和43年)度の年間79万1019人を頂点に年々減少し、2002年(平成14年)度には年間17万515人にまで落ち込んだ。これがため富山県は2003年(平成15年)9月9日に夜間早朝の時間帯における渡船運航を廃止する旨を表明し、2004年(平成16年)4月1日より深夜早朝に限り海王交通に委託してワンボックスカーによる代替輸送を開始した。加えて、2006年(平成18年)4月には費用削減のために「射水丸」が引退することとなり、以降は「こしのかた」及び「海竜」の2隻によって運航が行われるようになった。 また、2012年(平成24年)9月23日には渡船の航路とほとんど平行する新湊大橋の供用が開始された。これにより、臨港道路富山新港東西線が全通し、堀岡 - 越ノ潟間は45年ぶりに陸路によって接続されることとなった。なお、歩道および自転車道の部分の開通は強風時の振動を理由として開通が遅れたものの、2013年(平成25年)6月16日に供用が開始されている。この自転車歩行者道は従来運航されていた富山県営渡船の代替であるとされ、富山県行政改革委員会は2010年(平成22年)10月27日にその完成後に渡船を廃止することを提案していた。しかし、防犯上の理由により新湊大橋の自転車歩行者道部分(通称あいの風プロムナード)は夜間閉鎖されることなどから、富山県営渡船の運航は従来通り継続されることとなった。ただし、2014年(平成26年)4月1日にはさらなる減便が行われた。 2012年(平成24年)度に新湊大橋開通に伴う観光客の増加により一旦増加に転じた富山県営渡船の利用者数は、2013年(平成25年)度より再び減少に転じ、2015年(平成27年)度には5万7103人と過去最少を記録している。2016年(平成28年)度の利用者数も2015年(平成27年)度に引続き5万人台で推移しており、富山県は渡船の廃止を含めて協議を行っていくとしている。渡船の維持費用は毎年およそ1億円で、歳出減に取り組んでいる県の行政改革目標においては繰り返し「運営見直し」の対象とされていることから、運航にかかわる職員も新規採用が見送られ、大半が60歳以上の再任用もしくは嘱託職員である。
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