判定を巡る騒動等
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「2010年アジア競技大会における柔道競技」の記事における「判定を巡る騒動等」の解説
48kg級決勝の福見友子対中国の呉樹根戦では、呉が終始防戦一方であったにもかかわらず、2-1ながら判定勝ちを収めることになった。これに対して、女子代表監督の園田隆二は「(福見には)アグレッシブさがあり、国際柔道連盟が求める柔道をしていた」、国際柔道連盟審判委員の川口孝夫も「3-0で福見が勝っていた」、さらに強化委員長の吉村和郎も「あんな判定をしていたら中国自体が疑われる。100人が見たら、100人が福見の勝ちだと言う」と不可解な判定に異議を唱えた。地元の観客の異常なまでの盛り上がりが、主審のモンゴル人審判・副審の韓国人審判に影響を与えたとも指摘されている。 63kg級準決勝の上野順恵対北朝鮮の金秀京戦では、上野が「グーで5、6発も殴られた」格好になり、左目が大きく腫れ上がる事態になったものの、指導2で勝利した。この試合で審判は金秀京の反則を取らなかった。試合後の検査では打撲と診断された。全柔連は今回の件で国際柔道連盟に上野が殴られた準決勝の映像を提出して問題提起した。 81kg級で2位になったウズベキスタンのショキール・ムミノフのドーピング違反が発覚したために、3位だった高松正裕とカザフスタンのイスラーム・ボズバエフが2位に繰り上がることになった。
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判定を巡る騒動等
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「1990年アジア競技大会における柔道競技」の記事における「判定を巡る騒動等」の解説
71kg級準決勝の古賀稔彦対韓国の鄭勲戦にて、古賀が出足払で有効に近いポイントを取りながら、それが効果ポイントにさえならず、結果として判定負けを喫することになった。試合後、日本選手団はこの判定に対してビデオテープと証拠写真を添付して抗議すると、審判は過ちを認めて謝罪した。しかし、試合後ということもあり結果が覆されることはなかった。 71kg級決勝で鄭勲と対戦した北朝鮮の李昌寿は縦四方固で敗れて2位に終わった。後に韓国へ帰化した李は、この試合で韓国の選手に敗れたことで炭鉱送りになったと証言している。
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