初期の半導体製造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/07 15:57 UTC 版)
上で述べたとおり、手作業で半導体生産が行われていた時代、生産数量が天候等に左右される状況から、天候任せの栽培様式をとっていた農業に喩えて半導体農業説とも言われた。また、実際に生産してみないと良品がどれだけ採れるかわからない点を、漁業で網を入れて引き揚げてみないと実際の漁獲高が分からない事に準えて半導体漁業説、その他には職人芸が必要なことから半導体芸術説とも言われた。 例えば、日本で1975年(昭和50年)当時に5億円を投入したある設備で行われた集積回路の試作段階での量産では、最初の内は一ヶ月以上に渡って歩留まり0 %(全て不良品)という惨憺たる有様だったと、当時開発にあたっていた西久保靖彦は語っている。 また、半導体では或る程度の歩留まりを基準にコスト算出を行い、それを基に製品価格が決められる事もある。例えば歩留まり30 %を前提に製品価格を設定し、製造ラインの習熟で歩留まりが30 %を超えたら出荷を開始し、以後は、歩留まりが向上した分がそのまま純然たる利益になる。或いは、良品が増えて得られる余裕を価格競争力に振り向ける事も出来る。よって、生産ラインを素早く立ち上げ、歩留まりを他社より早く向上させることは、競争力を確保する上で重要なポイントとなる。 一方で、需要者の面から見れば、初期の半導体製造の歩留まりの低さは部品の確保における不安定要素となる。最悪の場合には所定数量の部品を確保することが出来ず、自身の業務に差し障りを生ずる事態を招きかねない。そのため、複数の供給業者、いわゆるセカンドソースから製品の供給をあおぐ事も行われた。
※この「初期の半導体製造」の解説は、「歩留まり」の解説の一部です。
「初期の半導体製造」を含む「歩留まり」の記事については、「歩留まり」の概要を参照ください。
- 初期の半導体製造のページへのリンク