初期の勧告
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/15 04:34 UTC 版)
「国際放射線防護委員会」の記事における「初期の勧告」の解説
1895年にX線が発見されて以降、放射線が利用され始めたが、初期には十分な放射線防護が行われなかったことにより、確定的影響を含む放射線障害の発生が報告されていた。ICRPの前身であるIXRPCは、放射線による確定的影響の一種である皮膚等の紅斑が発現しないようにすることを目安として、放射線作業者に対して耐容線量を定めた。 1950年、IXRPCがICRPに改称されたのと同時に放射線安全基準の見直しが行われ、耐容線量に代えて最大許容線量の概念が導入された。耐容線量は長期間にわたり障害を受けずに耐え得る線量とされたのに対し、特定の期間内に許容され得る線量として規定された。1958年勧告で、放射線作業者と一般公衆に対して最大許容線量が定められた。1962年勧告では、全面的な勧告の書き換えはなく、増補、改訂にとどまった。1965年勧告では制御されていない放射線源からの被曝についても新たに考慮された。1965年勧告では、放射線作業者の制御された放射線源からの被曝には最大許容線量、公衆の制御された放射線源からの被曝には線量限度、制御されていない放射線源からの被曝には対策レベルをそれぞれ制限値として用いることが提案された。ただし、対策レベルについては基本的な考え方は説明されているものの、具体的な数値は示されていなかった。
※この「初期の勧告」の解説は、「国際放射線防護委員会」の解説の一部です。
「初期の勧告」を含む「国際放射線防護委員会」の記事については、「国際放射線防護委員会」の概要を参照ください。
- 初期の勧告のページへのリンク