切支丹物との出会いとは? わかりやすく解説

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切支丹物との出会い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:20 UTC 版)

坂口安吾」の記事における「切支丹物との出会い」の解説

1938年昭和13年5月に、安吾作品では最も長い700渾身作「吹雪物語」を脱稿し上京し本郷菊富士ホテル滞在竹村書房から長編吹雪物語』を7月刊行するが、失敗作評され失意陥る6月には可愛がっていた姪の村山喜久松之山自宅の池の前で自殺し二重の苦悩の中、執筆専念し12月三好達治雑誌文体』に説話小説「閑山」を発表した日本の古典文学昔話親しみ1939年昭和14年2月にも、説話小説「紫大納言」を『文体』、3月は「木々の精、谷の精」を『文藝』に発表した同年5月安吾は〈人々のいのちとなるやうな物語〉を書くべく、新たな小説腹案を練るため、茨城県取手町取手病院離れ住み込むが、何を書いても本当の文学書けない思い空漠とした生活を送る。 翌1940年昭和15年1月には取手寒さ悲鳴をあげ、三好達治誘い小田原早川付近亀山別荘という結核患者のための家に転居するリルケの『マルテの手記』を読み絶望必要性教えられたことと、三好勧めで『日本切支丹宗門史』など切支丹物を読み始め執筆意欲取り戻し7月歴史小説イノチガケ」を『文學界』に発表する12月上京し、「風人録」を『現代文學』に発表歴史小説への意欲同人雑誌の頃の若い時代にも潜在していたが、ここで新たに歴史人物への共感視野が広まる。

※この「切支丹物との出会い」の解説は、「坂口安吾」の解説の一部です。
「切支丹物との出会い」を含む「坂口安吾」の記事については、「坂口安吾」の概要を参照ください。

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