出生、職人時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 06:28 UTC 版)
「ピエール=オーギュスト・ルノワール」の記事における「出生、職人時代」の解説
ルノワールは、1841年、フランス中南部の磁器の町リモージュで生まれた。7人兄弟の6番目であったが、上の2人は早世し、他に兄2人、姉1人、弟1人がいた。父レオナールは仕立屋、母マルグリットはお針子であった。後の印象派の画家たちがブルジョワ階級出身だったのに対し、ルノワールは1人労働者階級出身であった。 1844年、一家でパリに移住した。ルーヴル美術館の近くで、当時は貧しい人が暮らす下町であった。幼い頃から絵への興味を示していたが、美声でもあったルノワールは、1850年頃(9歳前後)、作曲家のシャルル・グノーが率いるサン・トゥスタッシュ教会(英語版)の聖歌隊に入り、グノーから声楽を学んだ。ルノワールの歌手としての才能を高く評価したグノーは、ルノワールの両親にルノワールをオペラ座の合唱団に入れることを提案したが、父親の知人からルノワールを磁器工場の徒弟として雇いたいという申出があったことから、グノーの提案を断り、聖歌隊も辞めた。 1854年、磁器工場に入り、磁器の絵付職人の見習いとなるが、産業革命や機械化の影響は伝統的な磁器絵付けの世界にも影響し、1858年に職人としての仕事を失うこととなった。ルノワールは、後に次のように回想している。 4年間の見習期間を終えて18歳になった時には、私の前には陶器絵師としての洋々たる未来が開かれていた。この仕事では、1日に6フラン稼ぐことができた。ところがその時、思いがけない大災厄が起こって、私の夢は台無しにされてしまった。……ちょうどその頃、陶器や磁器にプリントの絵付けをする方法が発明され、人々は手で描いた絵よりも機械の仕事の方を一層好むようになったのだ。 ルノワールは、次に扇子の装飾を仕事にし、アントワーヌ・ヴァトーやフランソワ・ブーシェの有名な名作を複製した扇子を繰り返し描いた。この時、ルノワールは、ブーシェやジャン・オノレ・フラゴナールといった18世紀のロココ絵画に興味を持つようになったようである。その後、メダル制作の紋章描き、窓の日除けの装飾、カフェの壁の装飾など、職人としての仕事を次々手がけた。仕事の合間に無料のデッサン学校に通い、1860年には、ルーヴル美術館で模写する許可を得た。特に、色彩派と言われるルーベンス、ブーシェ、フラゴナールを好んだ。
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