出生 - 青年時代
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「アントワーヌ・シャルル・ルイ・ド・ラサール」の記事における「出生 - 青年時代」の解説
アントワーヌ・ラサール(以下ラサール)は1775年5月10日、フランスのメスに下流貴族の子供として生まれた。ラサール家は代々軍人を輩出する家柄であり、父は王立フランス軍の将校であった。ラサールは11歳にしてアルザス歩兵連隊の少尉代行として入隊し、14歳の時には少尉に昇進した。 1789年にフランス革命が勃発するとラサールは軽騎兵連隊を率いて各地を転戦し、中尉に昇進した。 しかし、1792年に共和政府が発足すると貴族出身の将校達は職を解雇された。ラサールも例外ではなく、官位を剥奪され職を失った。しかし、ラサールの軍務に対する熱意は消えることはなかった。同年には密かにパリに移動し、国民衛兵に入隊した。 ラサールは1793年イタリア方面軍の志願兵として再度入隊した。曹長に抜擢されると、早速「騎兵連隊を率いて敵の砲兵部隊を捕獲する」という殊勲を立てた。この功績により、上司から将校になるように提案されたが、同僚や部下達と離れることを憂慮して断った。
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