出生と青年時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 10:16 UTC 版)
「アントニオ・サラザール」の記事における「出生と青年時代」の解説
1889年4月28日にポルトガルの北部ヴィゼウ県サンタ・コンバ・ダンの小地主の家に誕生した。姉が4人おり、末子であったが唯一の男子だった。当初は聖職者を目指しており、また生涯熱心なカトリック教徒であり、1900年(11歳)から1907年(18歳)までの間に神学校で学んでいた。しかしながら当時のリスボンでは僧侶が多すぎたので、下級聖品叙品式の後に教会登録済みとして還俗し、その後はコインブラ大学で法学を学んだ。1916年に論文「黄金時代、その本質及び原因」により、経済学の学位を取得した。 1917年に第一共和制政府から大臣になるよう依頼を受けるも断り、経済学の博士号を取得し、1918年にコインブラ大学で政治経済学講師から教授に就任して教鞭を執った。政治経済学教授としてのサラザールは教員として人気を集め、その講義には多くの学生が集まった。反カトリック的な共和政府に対しては不満を抱いており、カトリック擁護の意見を新聞に書いたり、教会の権利と利益を訴えたりしていた。この時期にサラザールは、20世紀初頭にフランスで勃興した王党派・極右団体であるアクション・フランセーズの影響を受けている。
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