再生医療への道筋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 09:16 UTC 版)
「上田実 (医学研究者)」の記事における「再生医療への道筋」の解説
留学中、上田と再生研究の接点はみられない。ヨーロッパの大学は伝統的にバイオマテリアル研究を重視していて、それらを使った組織の再生を目指していた。一方、アメリカでは幹細胞に大きな期待を寄せていた。両者には、臨床応用に対する強い熱意があり、人を救ってこその医学研究という明確な考えがあった。「日本では研究は研究として完結しており、臨床応用を意識する必要はなかったが、留学によって目が開かれた」と上田は述懐している。そのころ欧米では研究者と企業の連携が活発に行われていた。イエテボリ大学ではチタンインプラントの研究が企業主導でおこなわれていた。また再生医療の発祥の地であるボストンには、多くのバイオベンチャー企業が生まれつつあった。培養皮膚の開発者であるグリーン氏は「Bio-surface社」を立ち上げ商品化をすすめていた。またニューヨーク大学では皮膚科教授であったG・ノートン氏が自身の人工皮膚の実績を持って「Advanced Tissue Science社」の社長に就任。上田自身も1999年、日本初の再生医療ベンチャーである「Japan Tissue Engineering 」の創設に参加している。帰国とともに上田の研究活動はさらに加速させ2000年代には、ほとんどの組織が研究の対象となる。政府はミレニアム・プロジェクトを打ち出し再生医療分野に大型の予算を配分。この研究費によって骨、皮膚はもとより、角膜(2000)、歯(2002)末梢神経(2003)、循環器(2003)、尿管(2003)運動器(2004)、唾液腺(2004)、まで研究対象を拡大し、臨床研究も活発に行った。上田は骨の再生医療にターゲットを絞り研究に拍車をかけた。これらの功績により2014年日本学術会議会長賞を受賞する。名古屋大学における皮膚、骨の再生医療は、豊富な研究費と人材に恵まれたこともあり奨励数を伸ばし海外講演、論文発表も飛躍的に増加した。全国から研究者が見学に訪れ、マスコミの取材も頻繁であった。しかし「こうした表向きの成功とは別に『ほんとうに幹細胞が組織を作るのか?』という根本的を持つようになった」と当時の心境を語っている。
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