再度の全盛期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 23:32 UTC 版)
1980年代は映画への出演こそ減ったものの、アルバムのリリースや、引き続きニューヨークやラスベガスをはじめとする全米各地でのショーや、日本やイギリス、ブラジルや西ドイツなど諸外国でのコンサート活動を精力的に行った。 1980年には、ネバダ州賭博委員会の賭博営業許可証を取得しようとして、パーム・スプリングスのデザート病院への多額の寄付や、聖フランチェスコ医療センターのチャリティ公演、ドイツの「ナチ・ハンター」で有名なサイモン・ヴィーゼンタールの活動のためチャリティ公演など、様々な慈善行為を行った。また同年大統領に就任したロナルド・レーガンの選挙公演活動への多額の寄付をした。 さらに同年には、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロのマラカナン・スタジアムでコンサートを行い、単一のミュージシャンが行ったコンサートの世界最多動員記録を打ち立てた。 1982年には、ラスベガスの「ゴールデン・ナゲット」ホテルと3年間で1,600万ドルという高額の専属ショー契約を交わし話題を呼んだ。また、同時期には同じイタリア系アメリカ人のリー・アイアコッカが社長に就任したクライスラーと高額のテレビCM出演契約を交わし、娘のナンシーとともに同社の「ニューヨーカー」などの高級車種のCMに出演した。 なお、1985年にはその長年の活動が認められて、以前カリフォルニア州知事選挙と大統領選の支援活動を行ったことのあるロナルド・レーガンより、大統領自由勲章を授与された。また、アメリカを訪問したイタリアのアレッサンドロ・ペルティーニ大統領の前で歌を披露したほか、ルチアーノ・パヴァロッティとジョージ・シェアリングとともに、ニューヨークの「ラジオシティ・ミュージックホール」でコンサートを行った。 1986年には、ニュージャージー州のアトランティックシティーでの公演の最中に大腸憩室症により倒れそのまま入院するが、その後回復し、1988年にはディーン・マーティンとサミー・デイヴィス・ジュニアとともに「シナトラ一家」の再結成ツアーをアメリカ国内で行う。しかし、ディーン・マーティンが数度に渡り公演に遅刻したために、途中からはディーン・マーティン抜きでの公演となってしまい、2人が同じ舞台に上がるのはこれが最後となってしまう。 なお、マーティンはツアーの前年に、三男のディノ・ポール・マーティンを飛行機墜落事故で亡くし鬱病になったため、シナトラが朋友を元気づける為の催したツアーであった。
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