冀察政務委員会の人事
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「冀察政務委員会」の記事における「冀察政務委員会の人事」の解説
冀察政務委員会の委員には国民政府の幹部や財界人も任じられていたものの、老朽政治家としか見られない軍閥出身者や北京政府の政客が多かった。最初に17名の委員が任命され、その中には何応欽との折衝により冀察政務委員会の大綱を作成した蕭振瀛と政権成立の過程で中央政府に対抗するために総辞職することを表明した程克が参加していた。 人 名委員在任期間前職宋哲元 1935年12月11日 - 1937年8月20日(委員長) 陸軍第29軍軍長・北平市長 万福麟 1935年12月11日 - 1937年8月20日 黒龍江省政府主席 王揖唐 1935年12月11日 - 1937年8月20日 内務総長・衆議院議長 劉哲 1935年12月11日 - 1937年8月20日 教育総長・京師大学校長 李廷玉 1935年12月11日 - 1937年4月2日(辞職) 江西省長 賈徳耀 1935年12月11日 - 1937年8月20日 国務院総理 胡毓坤 1935年12月11日 - 1937年8月20日 第17軍軍長 高凌霨 1935年12月11日 - 1937年8月20日 代理国務院総理 王克敏 1935年12月11日 - 1937年4月2日(辞職) 財政総長・天津市長 蕭振瀛 1935年12月11日 - 1937年8月20日 察哈爾省政府主席 秦徳純 1935年12月11日 - 1937年8月20日 察哈爾省政府民政庁長 張自忠 1935年12月11日 - 1937年8月20日 第1軍第5師第15旅旅長・第29軍第38師師長 程克 1935年12月11日 - 1936年3月28日(死去) 内務総長・天津市長 周作民 1935年12月11日 - 1937年8月20日 参議院議員・金城銀行総経理 門致中 1935年12月11日 - 1937年8月20日 軍事委員会委員・寧夏省政府主席 石敬亭 1935年12月11日 - 1937年8月20日 代理陝西省政府主席・第2集団軍総参謀長 冷家驥 1935年12月11日 - 1937年4月2日(辞職) 北平市参議会副議長・紙問屋経営 その後辞任や死去の補充として、新たに以下の8名が委員となった。 湯爾和 1936年7月24日 - 1937年8月20日 財政総長 曹汝霖 1936年7月24日 - 1937年8月20日 交通総長 戈定遠 1936年7月24日 - 1937年8月20日 第29軍秘書長 劉汝明 1936年7月24日 - 1937年8月20日 第29軍副軍長 李思浩 1936年10月21日 - 1937年8月20日 財政総長・大中銀行総経理 馮治安 1937年4月2日 - 1937年8月20日 第37師師長・察哈爾省警備司令 鄧哲熙 1937年4月2日 - 1937年8月20日 裁判官・立法委員 章士釗 1937年4月2日 - 1937年8月20日 司法総長・上海法政学院院長 だが人員の補充にも関わらず、国民政府からの中央化工作の1つとして行われた北寧鉄路局長陳覚生弾劾の当事者陳が去るなど人事は安定しなかったため、華北における電業公司の日華合併成立と航空協定以外に成果を出せず、協定が済んだ津石鉄道敷設案と航空協定には中央が反対した。
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