冀察政務委員会成立
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「冀察政務委員会」の記事における「冀察政務委員会成立」の解説
1935年12月18日冀察政務委員会が成立した。目的は「河北省の民衆による自治と防共」「外交、軍事、経済、財政、人事、交通の権限を中央からの分離」を意図していた。成立にあたって「民意尊重」と「友好国との親睦」が宣言され、日本との提携が強調された。翌年2月には土肥原賢二少将を冀察政務委員会最高顧問に招聘することを求め、日本軍当局は土肥原を中将に昇進させてこれに応じた。 日本軍の中国駐屯軍首脳会議でも冀察政務委員会を独自政権と認めたが、冀東防共自治政府の殷汝耕は初めこそ冀察新政権に参加を表明したものの、その政権が依然南京政府と連絡し、独立した存在とは言えないとして不参加を表明した。
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