兼業漫画家時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 08:53 UTC 版)
落語作家として売れっ子となる中で、美術学校卒業という経歴が面白がられ、新作落語に挿絵も描いてほしいという依頼を受けるようになる。1年後には、編集者から依頼を受け、新作落語執筆の合間に漫画の執筆に取り掛かる。初連載は1929年(昭和4年)の『人造人間』。ロボットを主人公としたSF作品であり、日本のロボット漫画のパイオニアとも言える。 漫画家としてのペンネームは、当初は本名の高見澤をもじった当て字で田川水泡(た・かわ・みず・あわ→たかみざわ)だったが、周りが読みを“たがわすいほう”と読まれる為、敢えて訂正をせずそのままとし、翌1930年(昭和5年)に田河水泡(た・か・みず・あわ→たかみざわ)に変更。しかし、変則的な読みのせいか、読み間違いと、所謂誤植に悩まされる事が続き、当の漫画自体の作者名の部分でさえ「たがわ・すいほう」、「たがわ・みずあわ」とルビを振られる事が多かった(福岡県に三井田川炭鉱が有名でもあった為)。当初田河は自筆サイン(おたまじゃくしマーク)にわざわざMIZAWAと言葉を添えるなど対応していたが、少なくとも1932年(昭和7年)頃には自らもタガワスイホウと書くようになり、徐々に「たがわ・すいほう」として定着していった。 なお、漫画を描くようになってからまもなく、漫画発表の舞台を一般雑誌から子供が読む雑誌(婦人向け雑誌も含む)に移し、初の子供向け連載が1929年(昭和4年)の『目玉のチビちゃん』になる。
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