共同主催国際会議
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国内で開催される各分野の学術に関する国際会議のうち、国際学術機関の総会など、特に重要と認められる国際会議について、学術研究団体と共同で開催することで、支援・協力を行っている。これらの共同主催国際会議は閣議口頭了解に基づき開催されており、皇室の構成員の臨席もある。日本学術会議としての初めての主催は、国際純粋・応用物理学連合(IUPAP)に関連して1953年9月に京都大学で開催された「国際理論物理学会議」であった。 国際理論物理学会議の開催に際しユネスコやフォード財団からも援助を受け、ロックフェラー財団からの支援にあたってはアメリカ国立科学財団(NSF)のH・C・ケリー(英語版)次長の尽力があった。開催は招待制ながら会場外で非公式の会が多く開催され、海外からの参加者にはリチャード・P・ファインマンもいた。一般からの寄付金には小学生からのものもあり、当時のマスコミも大きな関心を寄せた。開催後しばらくは、国外でも「Kyoto Conference」として知られたという。 永宮正治は「日本学術会議が国際会議を共同主催する意義は、開催を機に専門の中だけに閉じない総合的な科学分野への広がりの道を開く点にもある」と指摘しており、日本学術会議が日本物理学会やIUPAPと共同主催した「原子核物理学国際会議」(2007年開催)や、日本微生物学連盟と共同主催した国際微生物学連合会議(2011年開催)では、一般市民を対象とする公開講座を催したり、関連分野から多様な講演者を招聘したりするなどの取り組みがなされた。 2007年の「原子核物理学国際会議」の開会式において、明仁天皇は湯川秀樹や仁科芳雄らのエピソードを交えつつ核兵器の悲劇に触れたうえで、原子核物理学が平和と幸福に資することを願うと挨拶した。このおことばは内外の研究者らの琴線に触れ、国内外で多くの反響を呼んだ。また、2011年の「国際微生物連合会議」では明仁天皇が記念式典と記念懇談会に出席し、国内外の著名人が集まった。これについて、同会議の国内組織委員長を務めた冨田房男は、微生物学分野を日本が重視していることを示すものであったと述懐している。しかし、会場は厳戒態勢が敷かれることになった。
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