やくも‐ごと【八雲琴】
八雲琴
名称: | 八雲琴 |
ふりがな: | やぐもごと |
芸能工芸区分: | 芸能 |
種別: | 音楽 |
選択年月日: | 1957.03.20(昭和32.03.20) |
選択要件: | |
備考: | |
解説文: | 八雲琴【やぐもごと】は二絃琴である。文政年間伊予の人中山琴主【ことぬし】が創案し、初めは玉琴と呼んでいたが、後八雲琴と名づけたと伝えられている。 これは杉または桐で作られた胴(古くは太い竹を割って作った)に同じように調律した二本の絃を張り、感所【かんどころ】を表わす象牙または螺鈿【らでん】の目印がほどこされたものである。 奏法は、左手の中指に白竹または象牙で作った円筒形の管をはめて絃の感所を押さえ、右手のひとさし指に先端を斜めに切った鹿角または象牙の円筒形の管をはめて二本の絃を同時に弾じて奏する。 荘重古雅な歌詞と曲調であるため、神事などに宗教音楽として奏され、明治の中ごろまでは盛んであったが、その後急速に衰えてしまった。京都の大岸藤琴、田中緒琴【おごと】名古屋の一色輝琴【いっしきてること】、それに奈良の山本震琴【しんきん】等伝承者は僅かとなり、現在上記の中で生存しているのは山本震琴のみである。 |
八雲琴
名称: | 八雲琴 |
ふりがな: | やぐもごと |
芸能工芸区分: | 芸能 |
種別: | 音楽 |
選択年月日: | 1957.03.20(昭和32.03.20) |
選択要件: | |
備考: | |
解説文: | 八雲琴【やぐもごと】は二絃琴である。文政年間伊予の人中山琴主【ことぬし】が創案し、初めは玉琴と呼んでいたが、後八雲琴と名づけたと伝えられている。 これは杉または桐で作られた胴(古くは太い竹を割って作った)に同じように調律した二本の絃を張り、感所【かんどころ】を表わす象牙または螺鈿【らでん】の目印がほどこされたものである。 奏法は、左手の中指に白竹または象牙で作った円筒形の管をはめて絃の感所を押さえ、右手のひとさし指に先端を斜めに切った鹿角または象牙の円筒形の管をはめて二本の絃を同時に弾じて奏する。 荘重古雅な歌詞と曲調であるため、神事などに宗教音楽として奏され、明治の中ごろまでは盛んであったが、その後急速に衰えてしまった。京都の大岸藤琴、田中緒琴【おごと】名古屋の一色輝琴【いっしきてること】、それに奈良の山本震琴【しんきん】等伝承者は僅かとなり、現在上記の中で生存しているのは山本震琴のみである。 |
八雲琴
名称: | 八雲琴 |
ふりがな: | やぐもごと |
芸能工芸区分: | 芸能 |
種別: | 音楽 |
選択年月日: | 1961.03.31(昭和36.03.31) |
選択要件: | |
備考: | |
解説文: | 八雲琴【やぐもごと】は二絃琴である。文政年間伊予の人中山琴主【ことぬし】が創案し、初めは玉琴と呼んでいたが、後八雲琴と名づけたと伝えられている。 これは杉または桐で作られた胴(古くは太い竹を割って作った)に同じように調律した二本の絃を張り、感所【かんどころ】を表わす象牙または螺鈿【らでん】の目印がほどこされたものである。 奏法は、左手の中指に白竹または象牙で作った円筒形の管をはめて絃の感所を押さえ、右手のひとさし指に先端を斜めに切った鹿角または象牙の円筒形の管をはめて二本の絃を同時に弾じて奏する。 荘重古雅な歌詞と曲調であるため、神事などに宗教音楽として奏され、明治の中ごろまでは盛んであったが、その後急速に衰えてしまった。京都の大岸藤琴、田中緒琴【おごと】名古屋の一色輝琴【いっしきてること】、それに奈良の山本震琴【しんきん】等伝承者は僅かとなり、現在上記の中で生存しているのは山本震琴のみである。 |
八雲琴
名称: | 八雲琴 |
ふりがな: | やぐもごと |
芸能工芸区分: | 芸能 |
種別: | 音楽 |
選択年月日: | 1968.03.28(昭和43.03.28) |
選択要件: | |
備考: | |
解説文: | 八雲琴【やぐもごと】は二絃琴である。文政年間伊予の人中山琴主【ことぬし】が創案し、初めは玉琴と呼んでいたが、後八雲琴と名づけたと伝えられている。 これは杉または桐で作られた胴(古くは太い竹を割って作った)に同じように調律した二本の絃を張り、感所【かんどころ】を表わす象牙または螺鈿【らでん】の目印がほどこされたものである。 奏法は、左手の中指に白竹または象牙で作った円筒形の管をはめて絃の感所を押さえ、右手のひとさし指に先端を斜めに切った鹿角または象牙の円筒形の管をはめて二本の絃を同時に弾じて奏する。 荘重古雅な歌詞と曲調であるため、神事などに宗教音楽として奏され、明治の中ごろまでは盛んであったが、その後急速に衰えてしまった。京都の大岸藤琴、田中緒琴【おごと】名古屋の一色輝琴【いっしきてること】、それに奈良の山本震琴【しんきん】等伝承者は僅かとなり、現在上記の中で生存しているのは山本震琴のみである。 |
二弦琴
(八雲琴 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/21 20:10 UTC 版)

二弦琴(にげんきん、二絃琴)とは、ツィター属の弦楽器の一種。二本の弦を同音に調律するのが特徴である。
日本における二弦琴の一番古い形は八雲琴で、明治期にこれを改良・分岐した東流(二絃琴)、更に大正期に東流を改良・分岐した大正琴、これらとは別の流れである竹琴が知られている[1]。
八雲琴は文政3年(1820年)に伊予国の中山琴主が出雲大社の神託を受けて作ったものとされ、当初は出雲琴・玉琴とも呼ばれた。元々は竹を2つに割って作ったが、今日では杉や桐の板で作られ、表板には竹を模した3つの節を、裏板には2つの響穴を刻んでいる。また、表板の表面には31か所の徽と呼ばれる目印が記され、徽に刻まれた31文字を読むと「ヤクモコトツホハウエヨリシタマテヲワカノミソチニナラヒキメヌル(八雲琴(の)壺(=目印)は上より下までを和歌の三十一(文字)に倣ひ決めぬる)」となる。胴の長さは約109cm、幅は11.5cm(尾部)~12.4cm(頭部)ある。頭部に開けられた2個の孔から絹糸で出来た2本の弦が出て、尾部に開けられた1個の孔を通して転軫に巻き付ける。転軫とは糸巻きのことで弦の張力調整機能を持つ。実際の演奏は琴を琴台に載せ、左手中指にはめた転管で弦を抑え、右手人差指にはめた竜爪を弾いて演奏した。琴主の没後は、大岸元琴(琴主の実弟)・村田友琴・黒田琴翁によって三派に分かれて明治に隆盛を迎えるが、大正以降は衰微して今日に至っている[1]。
大岸元琴の弟子で囃子方であった藤舎廬船(長唄家元としては初代藤舎呂船)は明治の初めに裏板を設けず、表板の裏側を船形にくり抜いた新しい琴を開発して新たな流派を創設して「東流」と称した。廬船が囃子方であったことから、歌舞伎の世界で用いられ始め、三味線とも組み合わされて演奏された[1]。大正の初めには森田吾郎が更なる改良を行って大正琴を発明した。
竹琴は明治の初めに盲目の地歌箏曲家であった葛原勾当が発明したもので、八雲琴とは別の系列に属する[1]。
脚注
参考文献
- 三谷陽子「二絃琴」(『国史大辞典 10』(吉川弘文館、1989年) ISBN 978-4-642-00510-4)
「八雲琴」の例文・使い方・用例・文例
- 八雲琴という琴
八雲琴と同じ種類の言葉
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