全線4車線化に向けた紆余曲折
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「長崎自動車道」の記事における「全線4車線化に向けた紆余曲折」の解説
鳥栖JCT - 長崎多良見ICまで開通した当初は、嬉野IC - 東そのぎICも暫定2車線で供用していた。後に拡幅工事が実施され、現在、当該区間については上下線とも2車線ずつ(往復4車線)での往来が可能となっている。 長崎自動車道の中で最も遅い2004年3月に開通した長崎多良見IC - 長崎IC(約11.3 km)については、自民党政権下の2009年4月27日に開催された国幹会議にて4車線化拡幅の事業化が決定した。この会議の資料では、総事業費1000億円、費用便益比(B/C)では1.4(すなわち便益>費用)と算出されていた。しかし、同年8月の第45回衆議院議員総選挙の結果民主党が政権につくと、鳩山政権の掲げる「コンクリートから人へ」の大号令の下に相次いで日本全国の大型公共事業の凍結が打ち出され、補正予算の執行が停止された長崎自動車道の拡幅事業も一転して暗礁に乗り上げた。これに対し、当時の金子原二郎知事や地元建設業界のほか、身内である民主党長崎県連からも一斉に戸惑いや反対の声があがる事態となった。この拡幅問題については、同じ民主党内でも長崎1区選出の高木義明議員が「拡幅事業は必要」としているのに対し、同4区選出の宮島大典議員は「拡幅事業は不要」と主張するなど、党内での足並みの乱れも以前から指摘されていた。 2012年3月23日、中村法道知事が前田武志国土交通大臣に対して拡幅事業の早期再開と財源確保を求める要望書を提出し、前田大臣も「わかりました」と応じた。4月5日には国土交通省が長崎道を含む凍結6路線の拡幅事業を再開する方針を固め、翌6日には同省から正式に発表された。再開事由について、長崎道以外の5区間については「渋滞解消のため」としているのに対し、長崎道は「安全性の確保」としている。実際に長崎自動車道では、暫定2車線区間の死傷事故率は4車線区間の約2倍となっていた。 ただし長崎道の拡幅が再開決定された区間は、事故の多い長崎芒塚IC - 長崎多良見ICの8.3 kmであり、当初予定されていた全11.3 km区間での事業化には至らなかった。これを受け中村法道知事は「(残りの)3.0 km区間についても早期に事業化がなされるよう、今後とも国に対して強く要望する」と、田上富久長崎市長も「(拡幅が決定された区間の)早期整備とともに、残された区間の4車線化の実現に向けて引き続き国に要望」と、即日それぞれコメントを出している。 その後自民党に政権が移ってからは、知事から国会議員に身を転じた金子原二郎ら県選出の自民党所属議員と地元首長らが連携して長崎多良見IC-長崎ICの整備事業早期再開を再三に渡って陳情、これに対して利便性向上や災害時の代替輸送路機能強化を重く見た国土交通省は2016年6月8日にNEXCO西日本に宛てて同区間の事業認可を行った。くしくも事業認可の2週間前には同区間での正面衝突事故により1名の命が失われ、およそ5時間の通行止が発生するなど、対面通行道路の危険性・脆弱性が露見したばかりであった。 NEXCO西日本によれば区間内の用地はすでに取得済であり、今後は測量や設計を経て建設工事に着手され、2022年(令和4年)3月17日に4車線化された。
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