兄弟荘
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1931年7月3日、徳富蘇峰が兄弟荘を訪れた。そこは宮地久衛が融和事業のために営む施設であった。敷地は160坪。建物は2室で、クラブ用の10畳間と、主人の居室の8畳間とがあった。蘇峰から見て如何にも質素であった。敷地に7間(13メートル近く)の柱を建て国旗を掲げていた。遠くからも目印になっていた。 兄弟荘に関連して次のような逸話が語られた。兄弟荘がある地域には、江戸時代に特別待遇を受けた部落があった。従来差別を受けた部落であった。明治維新後、明治天皇はここで兎狩りを行なった。1881年に初めて行なった際、天皇側近の宮内官たちは、そこに御野立所(天皇の休憩所)を設けることを憚り、遠慮すべきかどうすべきか悩んで議論した。なかなか決せず、やむなく明治天皇の判断を仰いだ。すると明治天皇は少しも躊躇せず、ただちに言った。「朕は兎のいるところならば何処へでも行く。またその村民も他の村民と同様に、それぞれ奉仕させるがよい」、「彼らの中には屈強の者もあろう。勢子に採用せよ」。これによって、そこへも御野立所を設け、そこの村民にも役割を与えて奉仕させた。一視同仁(人を差別しない)の尊き御言葉、同胞融和の大御心とたたえられた。 1930年4月20日、皇族の東久邇宮が当地を訪れ、明治天皇の聖蹟を巡り、行幸当時の兎狩りの様子を聴き取った。感激して歓迎する所謂部落の人々に会釈を賜った。宮地久衛は、明治天皇の一視同仁の思し召しを奉戴し、同年8月、軍職を投げうって融和事業に身を投じた。同年、兄弟荘を建てた。
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