兄弟荘とは? わかりやすく解説

兄弟荘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/16 07:46 UTC 版)

宮地久衛」の記事における「兄弟荘」の解説

1931年7月3日徳富蘇峰が兄弟荘を訪れた。そこは宮地久衛融和事業のために営む施設であった敷地は160坪。建物は2室で、クラブ用の10畳間と、主人居室の8畳間とがあった。蘇峰から見て如何にも質素であった敷地に7間(13メートル近く)のを建て国旗掲げていた。遠くから目印になっていた。 兄弟荘に関連して次のような逸話語られた。兄弟荘がある地域には、江戸時代に特別待遇受けた部落があった。従来差別受けた部落であった明治維新後、明治天皇はここで兎狩り行なった1881年初め行なった際、天皇側近宮内官たちは、そこに御野立所天皇休憩所)を設けることを憚り遠慮すべきかどうすべきか悩んで議論した。なかなか決せずやむなく明治天皇判断仰いだ。すると明治天皇は少しも躊躇せず、ただちに言った。「朕は兎のいるところならば何処へでも行く。またその村民も他の村民同様にそれぞれ奉仕させるがよい」、「彼らの中には屈強の者もあろう。勢子採用せよ」。これによって、そこへも御野立所設け、そこの村民にも役割与えて奉仕させた。一視同仁(人を差別しない)の尊き御言葉同胞融和大御心たたえられた。 1930年4月20日皇族東久邇宮当地訪れ明治天皇聖蹟巡り行幸当時兎狩り様子聴き取った感激して歓迎する所謂部落人々会釈賜った宮地久衛は、明治天皇一視同仁思し召し奉戴し、同年8月軍職投げうって融和事業身を投じた同年、兄弟荘を建てた

※この「兄弟荘」の解説は、「宮地久衛」の解説の一部です。
「兄弟荘」を含む「宮地久衛」の記事については、「宮地久衛」の概要を参照ください。

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