元弘元年の地震
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『太平記』には、本地震の30年前の元弘元年(1331年)に、紀伊で地震が発生し千里浜の遠干潟が隆起して陸地になり、その4日後、駿河で地震が発生し富士山頂で崩落があったとする記録がある。 元弘元年(元徳3年)7月3日(1331年8月7日[J]、8月15日[G])- 紀伊で地震。震央(推定)は北緯33度42分 東経135度12分 / 北緯33.7度 東経135.2度 / 33.7; 135.2、規模はM≧7。千里浜の遠干潟隆起。 元弘元年(元徳3年)7月7日(1331年8月11日[J]、8月19日[G])- 駿河で地震。富士の絶頂崩壊。 これを東海道沖の地震と関連の深い地震に位置付ける見方もある。 『太平記』巻第二。 天下怪異事 嘉暦二年の春の比南都大乗院禅師房と六方の大衆と、確執の事有て合戦に及ぶ。金堂、講堂、南円堂、西金堂、忽に兵火の余煙に焼失す。又元弘元年、山門東塔の北谷より兵火出来て、四王院、延命院、大講堂、法華堂、常行堂、一時に灰燼と成ぬ。是等をこそ、天下の災難を兼て知する処の前相かと人皆魂を冷しけるに、同年の七月三日大地震有て、紀伊国千里浜の遠干潟、俄に陸地になる事二十余町也。又同七日の酉の刻に地震有て、富士の絶頂崩るゝ事数百丈也と。 感応寺の第三代住職日寿の伝記に「この地震で感応山滝泉寺が崩壊し、その後駿府に移転されて改名されたのが今の感応寺である」とあり、寺の移転の事実が『日蓮宗宗学全書』でも確認され元弘元年の駿河地震の存在が確かであるとされる一方、この1331年の地震の記事は疑わしい部分があり、感応寺の記録が『太平記』と独立であるとは限らないとされる。
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