儒教の概念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 12:39 UTC 版)
中華の概念の根本となっている儒教では、天命によって天から選ばれた天子(皇帝または王)を頂点とした(身分や血筋による)徹底した序列秩序が唱えられており、従って儒教の基本概念に平等はない。このことについて司馬遼太郎は著書『この国のかたち』の中で「儒教では祖先への祭祀や血族の序列、尊卑貴賤という身分制を固守する形式が重要」、「儒教の礼とは日本語の礼儀や行儀という多分に互敬的な作法ではなく、『礼は国の幹なり』(春秋左氏伝)というように、礼が人倫の秩序を守るための基本であり、秩序を現代風に言えば、上下の差別を重んじ、自他の差を服装や礼儀で装飾化することであった。差別が国の幹なのである」と記す。また「九州之他、之(これ)ヲ蕃国と謂う」(周礼)」から、本土以外を蕃(野蛮)としてきたとし、さらに「儒教とは、華(文明)であるにはどうすればいいかという『宗教』で、野蛮を悪としてきた」と説明する。 また司馬遼太郎は著書『韓のくに紀行』の中で、儒教とは習俗として礼教を重んじることであるとし、「むろんそれは形式主義であってもかわまない。むしろ形式主義こそ国家と人間の秩序にもっとも大切な物だというのが、儒教的な思考法である」と説明している。さらに「礼とはつまり形式のことで、この形式がいかに煩瑣(はんさ)であれ、これを命懸けでまもってこそ人間社会と社会が成立するというものが、儒教の祖とされる孔子の考え方であった」とし、「逆にいえば儒教国家というものは自然のままの人間というものをみとめない。人間は秩序原理(礼)でもって飼い慣らしてはじめて人間になる。そうなっている」と書き述べている。
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