儀式と布告
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 06:48 UTC 版)
御誓文の原本は、天皇の書道指南役であった有栖川宮幟仁親王が勅命によって儀式前日に清書した。 3月14日、京都御所の正殿である紫宸殿にしつらえられた祭壇の前で、「天神地祇御誓祭」と称する儀式が執り行われた。御誓文の内容は、三条実美が神前で読み上げる形式で示された。なお、儀式の前には、天皇の書簡である御宸翰(億兆安撫国威宣揚の御宸翰)が披瀝され国民に下される。 儀式の式次第は以下の通り。まず、同日正午、京都に所在する公卿・諸侯・徴士ら群臣が着座。神祇事務局が塩水行事、散米行事、神おろし神歌、献供の儀式を行った後、天皇が出御。議定兼副総裁の三条実美が天皇に代わって神前で御祭文を奉読。天皇みずから幣帛の玉串を捧げて神拝して再び着座。三条が再び神前で御誓文を奉読し、続いて勅語を読み上げた。その後、公卿・諸侯が一人ずつ神位と玉座に拝礼し、奉答書に署名した。その途中で天皇は退出。最後に神祇事務局が神あげ神歌の儀式を行い群臣が退出した。 御誓文は太政官日誌(官報の前身)をもって一般に布告された。太政官日誌には「御誓文之御写」が勅語と奉答書とともに掲載されたほか、その前後には天神地祇御誓祭の式次第と御祭文や御宸翰が掲載された。当時の太政官日誌は都市の書店で一般に販売されていたが、各農村にまで配布されておらず、一般国民に対しては、キリスト教の禁止など幕府の旧来の政策を暫定処置として踏襲する五榜の掲示が出された。
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