偽書への注意喚起
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 21:49 UTC 版)
「テサロニケの信徒への手紙二」の記事における「偽書への注意喚起」の解説
第二テサロニケ書では、パウロが自身の手紙に偽書が混じっていることに注意喚起する一方で、この手紙こそが本物であるとばかりに真正性をアピールしているような記述が複数ある。 霊により、あるいは言葉により、あるいはわたしたちから出たという手紙によって、主の日はすでにきたとふれまわる者があっても、すぐさま心を動かされたり、あわてたりしてはいけない。 — 第二テサロニケ書2:2、口語訳聖書 そこで、兄弟たちよ。堅く立って、わたしたちの言葉や手紙で教えられた言伝えを、しっかりと守り続けなさい。 — 第二テサロニケ書2:15、口語訳聖書 もしこの手紙にしるしたわたしたちの言葉に聞き従わない人があれば、そのような人には注意をして、交際しないがよい。彼が自ら恥じるようになるためである。 — 第二テサロニケ書3:14、口語訳聖書 ここでパウロ自身が、手ずからあいさつを書く。これは、わたしのどの手紙にも書く印である。わたしは、このように書く。 — 第二テサロニケ書3:17、口語訳聖書 これについて、擬似書簡の立場をとる論者たちは、状況設定が不自然であると指摘している。第二テサロニケ書が真正書簡である場合、上述のように、その執筆年代は一連のパウロ書簡の中でも最も初期に属する。また、パウロの権威は生前にはまだ十分には確立しておらず、生前の、それも最も初期の手紙が書かれた時点で偽書が出回るという事態は想定しがたいというのである。また、最初期の手紙であるというのに、「どの手紙にも書く」真正性の印に言及するのも不自然であると、ケルン以来つとに指摘されている。その真正性の印としている書式について当てはまるのは第一コリント書と(擬似パウロ書簡の疑いがある)コロサイ書のみであり、真正書簡の全体にあてはまる印でないことも、偽装の疑いを強化するものとされる。 擬似書簡と見なす論者の中でも最も極端な見解を採る者たちは、第2章2節に登場している「わたしたちから出たという手紙」を第一テサロニケ書と見なしつつ、そちらに「手ずからあいさつを書く」という「どの手紙にも書く印」がないこととあわせ、第一テサロニケ書の方を偽書扱いしていると見る。つまり、第二テサロニケ書こそが真正書簡であると主張し第一テサロニケ書の真正性を否定することによって、その終末観の上書きを狙ったというのである。この説はドイツのリンデマンが1977年に最初に本格的に提示した。 ただし、擬似書簡の立場を取る論者たちにも、ここまでの見解には賛同しない者たちも少なくない。その場合、第二テサロニケ書は第一書を偽書とまでは位置づけておらず、その修正や補完を企図して付け足されたものであるとする立場が採られる。そこでは、「わたしたちから出たという手紙」が第一テサロニケ書を指していても、あくまでもそれを受け止めた人々が解釈を誤ったことなどが問題視されているのではないかとされる。あるいは、真正書簡とした上で執筆時点(西暦50年前後)にすでに偽名の書簡が存在していた可能性を示唆する者もいるが、それは考えがたいと指摘する者は真正書簡の立場を採る者の中にもいる。真正書簡の立場からは別の可能性として、パウロは想定されるリスクを予防的に提示したのではないかといった考え方も提示されている。
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