偽書説の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 14:44 UTC 版)
序文には推古28年(620年)に推古天皇の命によって聖徳太子と蘇我馬子が著し、推古30年(622年)完成したものとある。 時に小治田豊浦宮に御宇し豊御食炊屋姫天皇即位し二十八年歳次庚辰春三月の甲午朔戊戌に、摂政めたまふ上宮厩戸豊聡耳聖徳太子尊命す。大臣蘇我馬子宿祢等、勅を奉りて撰び定む……時に、三十年歳次壬午春二月の朔己丑是なり — 『先代旧事本紀』序文 このことなどから、平安中期から江戸中期にかけては日本最古の歴史書として『古事記』・『日本書紀』より尊重されることもあった。
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