偽書説への反証
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/09 14:44 UTC 版)
近年上田正昭、鎌田純一、嵐義人、古相正美他の研究者によって偽作は後から付け足された序文のみだと考えられている。 ……承平六年(九三六年)、朱雀天皇のときの講筵では、矢田部公望が講義をしているのですが、そこで『古事記』と『旧事本紀』とどちらが先に成立したのかということについて語っています。矢田部公望は「先師の説に曰く」として、醍醐天皇のときに講義をした藤原春海は、『古事記』の方が先で『旧事本紀』の方があとだと言っていたと述べています。そしてそのうえで、自分は、『旧事本紀』の方が先で『古事記』の方があとだと思うと自らの考えを言っているのです。 こういうことが書かれているということは、藤原春海、矢田部公望のときには、まだ序文が付いていなかったと考えられます。もしも序文が付いていたのなら、「序文にこう書いてあるではないか」と論じるはずなのですが、そういうことを一切論じていない。したがって、この当時は序文はなく、序文はその後の時代に付け加えられたものだと考えられるのです。 それに國學院におられた岩橋小弥太先生も言っておられますが、序文がいかにも稚拙だということです。文章になっていない。 — 鎌田純一 弘仁3年(812年)日本紀講筵にて「天皇敕阿禮使習帝王本記及先代舊事」と日本紀私記に記録されている。 904年延喜の日本紀講筵においての藤原春海の議論が936年承平の日本紀講筵にて引用されている。 904年藤原春海は延喜の日本紀講筵にて日本最初の史書を『古事記』と唱えている(「師説。以古事記爲始」)と936年承平の日本紀講筵にて矢田部公望により引用されている(延喜の日本紀講筵では公望は補佐役の尚復だった)。 問。本朝之史以何書爲始乎。師説。先師之説。以古事記爲始。而今案。上宮太子所撰先代舊事本紀十卷 — 矢田部公望 936年承平の日本紀講筵にて矢田部公望は聖徳太子撰の『先代舊事本紀』が最古(「而今案。上宮太子所撰先代舊事本紀十卷」)と説いたと『日本紀私記』・『釈日本紀』にて記録されている。 『延喜公望私記』にて矢田部公望が『先代旧事本紀』第三の「湯津楓木」を引用してその前の元慶の日本紀講筵(878年)にて惟良高尚が神代紀「湯津杜木」の「杜」は「桂」の誤りではないかと問うて博士がそれを否定した箇所について惟良大夫を支持したと『釈日本紀』巻8にあるので、延喜の日本紀講筵(904年)の時期に公望は『先代旧事本紀』を読んでいる。 『先代旧事本紀』の序文には完成年推古30年(622年)が明記されている。 以上の点から904年延喜の日本紀講筵の際には先代旧事本紀に序文は無く、その間に序文が添えられたとする学者たちがいる。
※この「偽書説への反証」の解説は、「先代旧事本紀」の解説の一部です。
「偽書説への反証」を含む「先代旧事本紀」の記事については、「先代旧事本紀」の概要を参照ください。
- 偽書説への反証のページへのリンク