倫理的な意義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/28 08:46 UTC 版)
タスキギー実験は人種と科学という問題を浮き彫りにした。この実験のみならず、アメリカにおけるさまざまな人体実験が明るみにでたことで、生物医学および行動科学研究の被験者保護のための全米委員会や国家研究法がつくられた。後者により、ある団体が連邦政府の支援(補助金、共同契約、委託発注など)を受けるためには治験審査委員会を設けなければならなくなった。外国法にのっとったプロセスで同意を得たとしても、同じような保護を与えるものであれば代替されうるが、法律か大統領令が別の方法を要求しない限りは連邦官報に告示されなければならない。 作家のジェイムズ・ジョーンズは、黒人のセクシュリティに固執する医師の問題を指摘している。つまり黒人は性病に感染した人とも喜んで性的交渉を持とうとすると考え(その診断結果を知らなかったとしても)、それが病気にかかるのは自己責任だという論法につながっているというのである。ブリット・ラサートは、この実験計画がどのように実施され、その目的がどう変化したかを論じている。彼によればこの実験は、「特許による営利追求が目的化した生物工学におけるアメリカの優位を確立しそれを維持するために、人間を培養しようのない病の天然資源あるいは動物とみなして経済的に搾取すること」であった。 情報が与えられていなかったために、タスキギー実験の被験者たちは自分たちの役割やとりうる選択肢について十分な知識がないまま実験に参加するよう操られていた。20世紀後半から、臨床試験には治験委員会の設置がセットとなり、研究に関わる被験者については、全員に意志と自発性が求められるようになった。
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