倫理政策の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 16:23 UTC 版)
「オランダ領東インド」の記事における「倫理政策の時代」の解説
自由主義政策時代の末期になると、現地民の窮迫ぶりはいっそう目立つようになった。現地民の生活状態の悪化は、オランダ製品の購買力を減少させることになり、オランダ資本にとっても好ましくなかった。また、人道上の理由もあり、オランダ本国ではようやく従来の自由主義を改めて現地民の福利向上をはかるべきだという声が強まってきた。 こうして、1901年以降、倫理政策と呼ばれる政策がとられるようになる。倫理政策時代には、給料の安い現地民の下級職員を植民地支配の道具として利用することを目的に養成するため、初等、中等学校が新設された。また、医師学校、官吏養成学校なども設けられオランダの大学に留学する者も漸次に増加してきた。 倫理政策により、レヘント(オランダ語版)(蘭: regent。オランダによる植民地統治のための現地民)は、人民から、世襲的な権力と威信を無視され、突如として一般人民同様の取り扱いを受けるようになり、結社の自由も緩和され比較的短期間に諸組織(ブディ・ウトモ)、とりわけイスラム諸組織加入者が数百万に増加した(サレカット・イスラム)。こうしてインドネシアに知識層、半知識層が生れ、現地民の組織化も進行し、民族自立の旗印が掲げられるようになったが、依然としてインドネシア人による自治は許されず、オランダによるオランダのための過酷な植民地支配は続いた。
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