倫理宗教的要因
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/06 22:40 UTC 版)
倫理的ないし宗教的要因としては、ヒンドゥー教における浄・不浄観念と業・輪廻思想があげられる。 浄・不浄の思想はいずれの宗教においてもみられるものであるが、ヒンドゥー教のもとでこの思想は極度に発達し、そこでは、物理的な不浄不潔と精神的価値とが混在してみられる。それぞれの職業や慣行は浄・不浄の観点から評価され、バラモンを最高位とする序列がなされている。それぞれのジャーティがもつ不浄性は集団的なものであると同時に、いずれのジャーティもそれぞれにふさわしい浄性を保たなければならないとされてきた。そうしなければ、みずからが属するジャーティのインド社会における序列の低下をまねいてしまう。すなわち、ヒンドゥーにおける独自の浄・不浄観念は、インド社会をジャーティに分割する原理になっているとともに、その集合体から成る社会の秩序原理ともなってきたのである。 また、ヒンドゥー教徒は、霊魂が前世になした行為(業)によって縛られ、さまざまな姿となって生まれ変わて現世を規定すると信じてきた。これが輪廻の思想であるが、同時に現世の自分の階層や職業に没頭することで来世の幸福が約束されることでもあり、この思考の枠組みによれば、下の階層はバラモンなど上位の階層に尽くすことこそが、自らを救済する道となる。こうした徹底した宿命観が、浄・不浄の観念と相まってヴァルナおよびジャーティの枠組みを支えてきたといえる。 なお、浄・不浄観念でカーストをとらえようとした先駆者のひとりにフランスの社会学者L.デュモンがいる。デュモンは、浄をバラモンが、不浄を不可触民が体現するという両極を設定し、政治権力や経済力は両極をゆるがさないとの論を唱えた。異論もあったが、反響もまたきわめて大きいものであった。ただし、ジャーティをふくむカースト機能論には、近年、浄・不浄のイデオロギーではなく、吉・凶イデオロギーを重視する立場や、支配・従属関係を基本軸とする王権論でとらえようとする立場も生まれている。
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