連邦政府の支援
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 06:01 UTC 版)
「サミュエル・モールス」の記事における「連邦政府の支援」の解説
1842年12月、再度ワシントンD.C.に赴き、議事堂の2つの会議室の間に電信線を張って、相互にメッセージをやりとりする実験を行った。1843年、議会はボルチモア・アンド・オハイオ鉄道の線路に沿ってワシントンD.C.とボルチモア間61kmに電信線を敷設する予算3万ドルを承認。1844年5月1日、ホイッグ党の大統領候補としてヘンリー・クレイが選ばれたというニュースがボルチモアからワシントンD.C.に試験的に電信で伝えられた。 1844年5月24日、ワシントン-ボルチモア間の電信が正式に開通し、最初の電報としてモールスはワシントンからボルチモアに "What hath God wrought" という聖書の一節を送った。この言葉を選んだのは、米国特許商標庁長官 Henry Leavitt Ellsworth の娘である。Ellsworth はモールスの特許を擁護し、早くから出資者となった。このときの電信では、1分間に30文字を送信可能だった。 1845年5月、ニューヨークを拠点として電信網を敷設するため Magnetic Telegraph Company を創業。 モールスは一時期、ホイートストンやカール・アウグスト・フォン・シュタインハイルの考え方を採用し、水や鉄道線路など何らかの導体を電信の伝送に使おうとしたことがある。「電信の発明者」と呼ばれる権利を保持するため、様々な訴訟で徹底的に戦った。ただし、モールス符号の発明ではアルフレッド・ヴェイルが重要な役割を果たしている。初期のモールス電信機は単語と数値の対照表を用いていた。要するにdot(トン),dash(ツー)の組み合わせで語(word)や句(phrase)に符号づけしていたものである。これを共同研究者でエンジニアであるヴェイルが文字(character)符号として改良。実用化に際して利用の簡便さを追求したヴェイルは文字の使用頻度と符号の組み合わせについて調べた上で決定した。その後、多くの改良・変更を経たものが現在のモールス符号である。ヴェイルの文字符号は、現在ではアメリカン・モールス符号と呼ばれる。
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