タスキギー実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 14:01 UTC 版)
詳細は「タスキギー梅毒実験」を参照 タスキギー梅毒実験は、1932年から1972年にかけて、アメリカ合衆国アラバマ州タスキギーで黒人梅毒患者を対象に行われた人体実験である。600人の被験者が参加しており、うち400人は告知されることなく梅毒に感染させられ、治療されないまま経過観察と死後の生体解剖の対象となった。この実験は、1941年にペニシリンの有効性が確認されて以降も継続された。被験者の多くは教育水準の低い貧しい小作人であり、温かい昼食や移動費、埋葬費用などの見返りにより集められていた。 1972年に実験の存在が発覚すると、人権を無視した人体実験であるとして、連邦議会に調査委員会が設置された。この時設置された「タスキーギ梅毒研究特別委員会」は、1973年の最終報告書において、この実験は「反倫理的で正当化できない行為」であるとしている。 その後、1997年5月16日、当時の大統領であるビル・クリントンより、「非人間的で残酷極まりない間違った行動」であったと正式に謝罪がなされた。
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