タスキギーとグアテマラでの研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 04:59 UTC 版)
「梅毒の歴史」の記事における「タスキギーとグアテマラでの研究」の解説
「タスキギー梅毒実験」および「グアテマラ人体実験」も参照 20世紀のアメリカ合衆国での事例で、医療倫理上の問題で最も悪名高いもの1つが、「タスキギー梅毒実験」である。この研究はアラバマ州タスキギーで、アメリカ公衆衛生局の支援とタスキギー大学(英語版)の協力の下行われた。 研究は1932年、梅毒が広く問題となり、安全で効率的な治療法が存在しなかった時代に開始された。研究は梅毒の無治療時の経過を観察するためにデザインされた。1947年までには、ペニシリンが初期の梅毒に効果的であることが示されており、病気の治療に広く用いられるようになっていた。 しかし、末期の梅毒への使用効果についてはまだはっきりしていなかったため、ディレクターたちは研究を継続し、参加者たちにペニシリンによる治療を勧めることはしなかった。参加者がどの程度ペニシリンを与えられていたかについては議論がある。 1960年代にピーター・バクストン(英語版)は、研究を管轄していたアメリカ疾病予防管理センター (CDC) へ書簡を送り、何百人もの黒人を放置し、治療できる病で死なせることについての倫理的懸念を表明した。CDCは、全員が死亡するまで研究は継続される必要があると主張した。 1972年、バクストンは大手マスコミへ話を持ち込み、大衆の抗議が引き起こされた。結果として、実験プログラムは終了し、訴訟によって900万米ドルが被害者に支払われた。そしてアメリカ合衆国議会は、将来このような事態が起こることを防ぐため、規制を作成する委員会を立ち上げた。 1994年に結成された Tuskegee Syphilis Study Legacy Committee の尽力によって、1997年5月16日、アメリカ合衆国大統領ビル・クリントンによるアメリカ合衆国連邦政府を代表して、研究への謝罪に同席するため、生存者らはホワイトハウスに招待された。 また、梅毒の実験は1946年から1948年にかけて、グアテマラでも行われた。これはアメリカ合衆国の後援を受けた人体実験で、フアン・ホセ・アレバロ大統領の時代にグアテマラの保健省と役人の協力のもと行われた。医師は兵士、受刑者、精神障害者に対し、参加者のインフォームド・コンセントなしに梅毒や他の性感染症を感染させ、その後抗生物質によって治療した。2010年、アメリカ合衆国はこれらの実験についてグアテマラに公式に謝罪した。
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