個展、国際的な活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 07:34 UTC 版)
「ヴィクトル・ブローネル」の記事における「個展、国際的な活動」の解説
1953年にニューヨークのアレクサンドル・イオラス(フランス語版)画廊で個展を開いた。イオラスはアレクサンドリア(エジプト)生まれで、ニューヨークのほか、パリ、ミラノ、ジュネーヴなどでも画廊を開設し、ブローネルの作品を世界に広めた。パリの画廊ではブローネルのほか、ニキ・ド・サンファル、ジャン・ティンゲリー、イヴ・クライン、ルネ・マグリット、パウル・クレーなどの展覧会を行い、前衛芸術家を紹介したことで知られる。 1954年にヴェネツィア・ビエンナーレに出展。58年にミラノのナヴィリオ画廊での個展のために同地に滞在。59年から64年にかけてニューヨーク、シカゴ、ロンドン、パリなどで多くの個展が開催された。65年にはウィーンで初の回顧展が行われ、ハノーファー、ハーゲン、さらにアムステルダム(アムステルダム市立美術館)へ巡回した。 ブローネルは1961年にセーヌ=マリティーム県(ノルマンディー地域圏)のサント=マルグリット=シュル=メール(フランス語版)のヴァストリヴァルに居を定めた。この家を最初は「藁葺きの家」と名付けたが、後に「アタノール(英語版)(「大いなる業」を行うための錬金術用の炉)」に改名。ここで、1965年に「神話と母の日」の連作13点を制作した。人間界、動物界、植物界の調和を描いたこの連作では、彫刻が施され、絵が描かれた額も作品の一部となっている。これらの作品は、翌1966年および1976年にパリ7区のアレクサンドル・イオラス画廊で開催されたヴィクトル・ブローネル展で発表された。 1963年にフランスに帰化。1966年のヴェネツィア・ビエンナーレにフランス代表として参加。同年3月12日に死去、享年62歳。 1985年、妻ジャクリーヌにより絵画、素描、陶磁器、彫刻など作品のほとんどが国に寄贈された(同年、ジャクリーヌ死去)。これらは現在、主にパリ市立近代美術館とポンピドゥー・センター内国立近代美術館が所蔵している。 ブローネルは妻ジャクリーヌとともにモンマルトル墓地に眠る。墓石には「私にとって絵画は生、本物の生、私の人生」と刻まれている。
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