修正主義と教条主義とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 修正主義と教条主義の意味・解説 

修正主義(ベルンシュタイン主義)と教条主義(カウツキー主義)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 17:22 UTC 版)

マルクス主義」の記事における「修正主義ベルンシュタイン主義)と教条主義カウツキー主義)」の解説

1895年エンゲルス死去してまもなく、ドイツ社会民主党SPD)において正統派マルクス主義者と見なされていたベルンシュタイン従来異なる見解を党機関誌発表しはじめたプロレタリアート非合法手段による国家権力奪取ではなく議会制民主主義通じた社会改良目指すべきだ、というのが最大ポイントであった。彼は1899年著書社会主義の諸前提社会民主党任務』でその見解をまとめた。その内容権力獲得問題とどまらず哲学経済学領域にまでわたるマルクス主義修正となったベルンシュタイン主張激し論争巻き起こし、「修正主義」と呼ばれて正統派マルクス主義理論的指導者だったカール・カウツキーらによって批判された。マルクス、エンゲルス著作精通していたカウツキーは、両者著作からの博引旁証によって修正主義批判し、「マルクス主義法王」と呼ばれた1903年SPDドレスデン大会は「階級闘争に基づくわれわれの戦術を、敵に打ち勝って政治権力獲得するかわりに既存秩序迎合する政策採用するという意味で変更しようとする修正主義企てには断固として反対する」と決議したとはいえベルンシュタイン見解理論的に拒否されただけであり、実践的に拒否されたわけではなかった。ドイツ社会民主党実際に議会制民主主義のもとで勢力伸ばしており、「敵に打ち勝って政治権力獲得する戦略具体的に実行されことはなかった。カウツキーもその戦略具体的に提示することはなく、好機到来を待つ姿勢とどまった。そのため、マルクス主義教条としての擁護し実践的に生かさなかったという意味で、カウツキー見解教条主義呼ばれることが多い。 ドイツ社会民主党および第二インターナショナル第一次世界大戦まではマルクス主義運動国際的な中心だったが、戦争勃発の際にそれまで反戦主義捨てて社会愛国主義立場をとったために権威喪失して事実上崩壊し(「城内平和」)、ロシアボリシェヴィキおよびコミンテルンにその地位明け渡し第二インターナショナル残党労働社会主義インターナショナルとなった第二次世界大戦後1951年社会主義インターナショナルの『フランクフルト宣言』で「共産主義マルクス主義批判的精神相容れない偏狭な神学つくりだした」と批判して社会民主主義民主社会主義発展し1959年採択したゴーデスベルク綱領ドイツ社会民主党ワイマール共和制崩壊まで続いたカウツキー主義流れを公式に放棄した

※この「修正主義(ベルンシュタイン主義)と教条主義(カウツキー主義)」の解説は、「マルクス主義」の解説の一部です。
「修正主義(ベルンシュタイン主義)と教条主義(カウツキー主義)」を含む「マルクス主義」の記事については、「マルクス主義」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「修正主義と教条主義」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「修正主義と教条主義」の関連用語

1
教条主義 百科事典
32% |||||

修正主義と教条主義のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



修正主義と教条主義のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのマルクス主義 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS