修正主義による再評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 23:27 UTC 版)
「メアリー1世 (イングランド女王)」の記事における「修正主義による再評価」の解説
近年、ピューリタン寄りでリベラルな従来の歴史観を批判する歴史修正主義によって、メアリー1世の治世に対する極度に否定的な見方は緩みつつある。新しい角度からの視点では次のように評価されている。 メアリー1世は宗教改革に逆行してカトリックへの復帰を目指し、その過程で多くのプロテスタントを処刑したことが非難されてきた。しかし宗教改革はエドワード6世時代には一般社会には浸透せず、イングランドの実質的なプロテスタント化はエリザベス1世時代以後に進んでいったものと考えられる。エドワード6世死去の時点では、教養ある貴族やジェントリ階層は伝統的な宗教慣習に強い愛着を示し、一般民衆と彼らを教導する教区の聖職者もプロテスタントの革命的な改革やその教義を理解しなかった。カトリックへの復帰がさしたる抵抗なく行われたのはこのためだといえる。メアリー1世の治世がもし長ければ、イングランドがプロテスタント国家にならなかった可能性は高い。 フェリペとの結婚は、スペインによる属国化を招きかねなかったとして非難されてきた。しかし当時はテューダー家の血を引く者のほとんどが女性であり、また国内貴族との結婚はジェーン・グレイの例にも見られるように、貴族間の派閥争いや王家乗っ取りを許すおそれからはばかられたという事情があった。婚姻時の取り決めでも、フェリペのイングランド共同王としての資格はメアリーとの結婚期間のみに限定されており、イングランド王位の継承権はフェリペとメアリーの間の子のみに認められており、イングランドの独立性は充分に考慮されていた。
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