修学時代とは? わかりやすく解説

修学時代(1923–1930)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/16 14:18 UTC 版)

ディートリヒ・ボンヘッファー」の記事における「修学時代(1923–1930)」の解説

1923年テュービンゲン大学福音主義神学部入学し神学学び始めた。ここで、哲学講義受講している。ここではテュービンゲン大学学生組合イーゲル加入したローマで研究滞在の後、1924年ベルリン大学神学部転学した。ここで自由主義神学担い手たちに出会ったが、とりわけアドルフ・フォン・ハルナックから大きな影響受けた。この時期、独自の弁証法神学提起していたカール・バルト傾倒したある種批判的な距離を持ち続けていたが、ボンヘッファーはこの時以来、常にバルト彼の神学に結びついていた。1927年21歳で彼は神学博士号をベルリン大学神学部から授与された。教理史家のラインホルト・ゼーベルク教授の下で学位請求論文聖徒の交わり』(Sanctorum Communio)を書き上げ、最優秀(summa cum laude)の評価得たバルト並んでヘーゲルマックス・ヴェーバーエルンスト・トレルチから神学的社会学的省察に関する影響受けた1928年1月古プロイセン合同福音主義教会ベルリンブランデンブルク地区牧師資格を得るための第1次神学試験(合格者通例牧師補に任職)を受けた1928年2月から1929年2月まで、バルセロナドイツ人福音主義教会共同体牧師補を務めた1929年ベルリン大学神学部助手になり、1930年24歳時に超越論哲学存在論扱った組織神学論文行為存在』で大学教授資格与えられ第2次神学試験受けた牧師任職を受けられる規定年齢25歳になっていなかったので、この段階ではボンヘッファーはまだ牧師には任職されず、牧師補のままであった1930年から1931年にかけてアメリカ合衆国留学しニューヨークユニオン神学校ラインホルド・ニーバーの下で学ぶ。この滞在中にハーレム地区のアフリカン・メソジスト・エピスコパル教会共同体接触する機会があり、アフリカ系アメリカ人対す差別問題触れる。その後マハトマ・ガンディー思想からの影響と共にアメリカで経験福音社会的側面に対してボンヘッファー考え変わり神学者として出発するその後キリスト者として、やがて同時代人として生きることを選ぶ一つ契機となった考えられる

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