作者は定房か否かとは? わかりやすく解説

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作者は定房か否か

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 01:35 UTC 版)

正中の変」の記事における「作者は定房か否か」の解説

正中元年事件説明として、いわゆる吉田定房奏上」という、後醍醐天皇側近後の三房」のひとり吉田定房著したという説がある文書用いられることがある。この文書著者奏上し相手は、「亀山院の子孫で「仙洞」(上皇)および「武家」と対立関係にあり、「兵革」で「草創」(武力による鎌倉幕府打倒と国の維新)を志す天皇である。無論、これは後醍醐天皇しかない著者は、この「草創」(討幕による維新)の企て時期尚早敗北に終わるであろう後醍醐警告し時運を待つように進言した。 河内祥輔主張では、この文書著者は定房ではない上に、正中元年事件ではなく元弘の乱時に書かれたものではないかという。河内は、年月日作者不明の上に、厳密に奏上そのものではなくその覚書であるため、「(年月日欠)某奏上覚書」という呼び方が適当ではないか、としている。 奏上原本は、覚書作成時点から「去年六月廿一日」に後醍醐提出された。通説では、この「去年」とは、元応2年1320年)・正中元年1324年)・元徳2年1330年)説などがある(覚書文書そのものそれぞれの翌年作成されたことになる)。 しかし、河内は、この年特定には2つ問題点があるとしている。第一に元応2年1320年)説と正中元年1324年)説は、正中元年事件討幕計画であることを前提一つとしているため、討幕そのもの論じ時にはその信頼性揺らぐことになる。第二に、これらの全ての説が、作者吉田定房であることを前提としている。 村井章介元応2年1320年)説と佐藤進一正中元年1324年)説は、第8条の「革命今時」という文言についてそれぞれ辛酉革命甲子革令(これらの干支の年には王朝揺るがす事件起きるという当時迷信讖緯説))を充てたものである。しかし、河内は、これは考えすぎであり、ここでいう革命」は「国家草創」という以上の意味はないであろう、としている。 作者定房説は小野壽人・松本二・村田正志らによって提示されたのが始まりであるが、その根拠は『吉口伝』に、定房は後醍醐天皇の「陰謀」を度々諌め直言何度も上げた忠臣であった等々と書かれており、奏上覚書の内容一致することや、「草創の事」といった言い回し類似している点が挙げられる。しかし、河内は、『吉口伝』は定房が作者の「候補」である有力な論拠にはなるとしても、他にも直言上げ家臣がいた中で、なぜ特に定房のみに限定されなければならないのか疑問呈した

※この「作者は定房か否か」の解説は、「正中の変」の解説の一部です。
「作者は定房か否か」を含む「正中の変」の記事については、「正中の変」の概要を参照ください。

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