作者の謎とその謎解き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/11 01:53 UTC 版)
「ウラニアの鏡」の記事における「作者の謎とその謎解き」の解説
『ウラニアの鏡』の広告や付属冊子の序文には、カードの作者は「ある婦人 (a lady)」としか書かれていない。なお冊子序文によれば「妙齢の(young)」婦人とのことである。このため出版後100年以上もの間、作者に関する憶測が飛び交った。当時女性天文学者として有名であったカロライン・ハーシェルやメアリー・サマヴィルを『鏡』の作者だと考える人もいたし、他方で版画師シドニー・ホール作者説を唱える者もいたが、これといって信頼性の高い説が確立することはなかった。作者の謎が解き明かされたのは出版から170年ほど経過した1994年のことである。王立天文学会(RAS)の会員選出証書を整理していたピーター・ヒングレイが、リチャード・ラウズ・ブロクサム師 (Richard Rouse Bloxam) の選出証書に「ウラニアの鏡の作者であるため」にRAS会員に推挙するという選出理由が書かれているのを発見したのであった。ブロクサムには有名な息子がいたが、著作などがあったことは知られておらず、その主な事績としてはラグビー校に38年間勤務したことぐらいであった。 作者を曖昧にしていた理由は分かっていない。ヒングレイによれば、当時の出版物は、おそらくは敷居を低くしようとの意図から、制作に女性が関わっていることを喧伝しようとする傾向があったことを指摘している。また、ブロクサムのラグビー校での地位を守る必要から匿名にしたのではと推測する説については、ラグビー校は極めて進歩的な学校であったのでその可能性は低いとし、結論としては、遠慮して匿名にした可能性をあげている。一方イアン・リドパスは、『鏡』は『ジェミーソン星図』からの盗作だと指摘し、作者が匿名を望んだ理由としてはこのことだけで説明がつくと述べている。
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