作者の没後
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翌1992年(平成4年)2月、作者の母である坪田揚子は、愛娘が皆の心に生きることを願い、遺作となった『地球の秘密』を自費でコピーし、西野小学校の同級生らと教員らに配布した。 折しも別件で読売新聞の記者が学校に取材に来ており、その記者の目に本作がとまった。本作に感銘を受けて朝日新聞の販売店に持ち込んだ保護者もいた。こうして本作は期せずして、読売、朝日の2大新聞で同日の新聞記事に取り上げられ、両親の家や学校宛てに、本作を読みたいとの問合せが殺到した。環境保護について地球という大きな観点で捉えていながら、年少者向けに漫画というわかりやすい形式で述べられた内容は話題を呼び、活動の輪が急速に広まることとなった(後述)。 同1992年6月、地球環境平和財団が冊子版を発行した。これは一般書店での販売ではなく、同団体が申し込みに応じて発行していた。その後の2004年(平成16年)12月、出版文化社より市販本が発行され、一般書店での購入が可能となった。出版文化社版では、生前の作者の言葉を頼りに、グラフィックデザインの経験を持つ母の坪田揚子が全ページの彩色を行ない、簡素だった従来の装丁がA4判ハードカバーに改められた。
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