作並機関区・仙山線管理所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 18:34 UTC 版)
仙台と山形からそれぞれ線路が延びる形で建設された仙山線は、1937年(昭和12年)11月10日に全線開通した。宮城県と山形県の県境には奥羽山脈を横断するための仙山トンネルが建設された。仙山トンネルは総延長5361メートルを誇るトンネルである。この中で機関士が蒸気機関車の煙で辛い思いをしないように、仙山トンネルを含む作並駅から山寺駅の区間は初めから直流電化で建設され、電気機関車がここを走ることになった。仙山線の全線開通と同時に、作並駅には機関車の車両基地が設けられた。 作並駅に置かれた機関車の車両基地は、当初は仙台機関区作並機関支区といった。これは合計40名あまりの組織であり、東京や水上の機関区で学んだ22名が中核となった。車両については直流用のED19形電気機関車4両がここに配置された。作並機関支区は1947年(昭和22年)に本区として独立して作並機関区となった。1950年代に仙山線の北仙台駅から作並駅の区間が交流電化の試験路線となり、作並機関区には交流用機関車のED44形・ED45形が配置され、各種の試験に供された。 1960年(昭和35年)8月20日、作並に仙山線管理所が置かれ、作並機関区は仙山線管理所車両科となった。管理所制度は、地方線区の実情にあった路線経営を目指すために、国鉄が1956年(昭和31年)に起こした制度である。仙山線管理所は国鉄仙台鉄道管理局の中では6番目に発足した管理所で、270名あまりの人員がここに所属した。仙山線管理所は、経営改善の他に、鉄道施設への落石や雪崩の防止に取り組み、列車の安全運行を目指した。仙山線管理所は1968年(昭和43年)9月に廃止されることになり、これに伴って検修要員は長町機関区へ、その他の人員は仙台運転所へ異動した。所属していた機関車は他所の基地へ転属するか廃車となった。これはちょうど、仙山線全線が交流電化に統一された時期に当たった。 上記以外で作並に所属した機関車としては、ED14形、ED17形、ED37形(ED29形)、ED60形、ED93形(ED77形)があった。
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