佐志能神社 (笠間市)とは? わかりやすく解説

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佐志能神社 (笠間市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 16:40 UTC 版)

佐志能神社(さしのうじんじゃ[1])は、茨城県笠間市笠間にある、佐白山の「笠間城跡」に鎮座する神社。延喜式神名帳の佐志能神社(常陸国新治郡。小社)の論社である。旧社格は村社。


  1. ^ 茨城県神社庁神社台帳では、染谷、村上、柿岡の佐志能神社は「さしの」、笠間の佐志能神社は「さしのう」とふりがなが振られている。その他、「笠間胡桃下稲荷神社縁起」(1904年)に「さしのふ」、広報かさま2月号の「笠間の歴史探訪」に「さしのう」と振られている。
  2. ^ 現況は笠間市公式ホームページの「笠間城跡」を参照。
  3. ^ 茨城県「「笠間県立自然公園」。2016年9月10日閲覧。
  4. ^ a b 佐白山正福寺「佐白山正福寺の歴史」。2016年9月10日閲覧。
  5. ^ 笠間市「笠間城の歴史」。2016年9月10日閲覧。
  6. ^ 読みについては大日本地名辞書に「佐白山を或は阿武(アム)山と云ふ、阿武とは阿彌(網)の訛りにあらずや、佐代公の同族に、大網君あり。而も、出雲国にも佐白、阿彌の地名、社あり、猶考ふべし」とある。大日本地名辞書、笠間城址の項。
  7. ^ 大日本地名辞書、佐志能神社の項。
  8. ^ 宇都宮明神の勧請については誤植が目立ち、新編常陸国誌は笠間城の項では「建保3年(1216年)」としつつ別項で「建長3年(1251年)」とも記している。笠間便覧と笠間胡桃下稲荷神社縁起は「建武3年(1336年)」としている。笠間時朝の没年は文永2年(1265年)であるため、少なくとも建武3年説は考えにくい。
  9. ^ 特選神名牒、佐志能神社の項。
  10. ^ 別名を城山出世稲荷神社といい、主神は宇迦之御魂命、配祀神は誉田別命である。「城山稲荷神社本殿」は笠間市指定有形文化財である。
  11. ^ a b 矢口圭二「笠間の歴史探訪 Vol. 14 笠間大町の三社神社」。平成25年10月。笠間市公式ホームページ。仁平家所蔵の弘治2年9月(1556年)の「三所大明神縁起」に基づく歴史記事。2016年9月10日閲覧。
  12. ^ 笠間便覧や茨城県神社写真帳では、祭神は大己貴命、事代主命、建御名方命の三座である。
  13. ^ 茨城県案内、笠間町、佐白山観世音堂の項。原文は「明治四五年」である。
  14. ^ この趣旨が記述されている部分の引用は以下の通り。「かく氏人のひろがりつるに合せては、下毛野の隣国なるこの常陸に来り住し者もありつとおぼしく、姓氏録に茨木造、豊城入彦命之跡也、とある茨木は、必ず常陸の茨木の地名を負りと聞ゆ、この地名に負るは、此に遷り住ける人ありしによれり、又この神社のある佐白山は、古へ茨木新治接す境なれば、其近きわたりに住ける茨木造の氏人(其族類の人住るにつきては、佐代公の氏人も来り居しもあるべし)、同族なる佐代公の氏人と相謀りて、遠祖にます豊城入彦命の神社を、この山上に建て祭るべき、自らの勢なり」。


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