佐原張子とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > ビジネス > 全国NPO法人 > 佐原張子の意味・解説 

特定非営利活動法人佐原張子(認証取消)


佐原張子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/24 02:05 UTC 版)

佐原張子(さわらはりこ)は、千葉県香取市佐原地区(旧佐原市)で明治時代から作られている張子1999年平成11年)の年賀切手のモチーフになったことで知られる。

特徴

木型や粘土型に和紙を手張りしていき、ニカワと貝殻の粉を混ぜた液体を塗って乾燥させた後に色付けしていく。紙の凹凸から生まれる独特な愛嬌と妙味のある表情と素朴な味わいを特徴とする[1][2]

房総半島での張子の制作は縁起物としてのだるまが主な中、佐原張子は、明治時代以降に首振りやゼンマイ仕掛けなどの動きのある子供向けの玩具として発展していった。明治末期には「佐原の亀車」が地域の名産品として認知されるようになる。佐原の亀車は、朱塗りの盃をくわえた亀の張子であり、甲羅の裏側に仕込まれた糸巻き車を動かすことで亀が走り出す仕組みになっている[3][4][5]

亀車のほかにカニ車、首振り虎、餅つきうさぎなどが作られており、餅つきうさぎは1999年(平成11年)の年賀切手のモチーフに選ばれている[5][6]

歴史

佐原では江戸時代から張子のだるまの製造がおこなわれており、幕末から明治初期にかけては利根川の水運を利用して現在の東京都茨城県にも運ばれていた。現代に伝わる佐原張子は、明治の中頃に銚子から佐原に移住してきた鎌田清太郎が人力車の車夫として働きながら子供向けの玩具張子を作って香取神宮などの縁日で販売したのが始まりである。明治末期に亀戸の張子に着想を得て考案した亀車が評判を呼び、1918年大正7年)に三浦屋の屋号で専業の張子職人になる[1][4][7]

鎌田清太郎の没後は、孫の鎌田芳朗が技法を受け継ぎ、1987年昭和62年)に千葉県指定伝統的工芸品になる。佐原張子の制作は鎌田芳朗ひとりで行われてきたが、2000年代から後継者の育成が始まり、2021年の鎌田芳朗の没後も佐原町並み交流館で体験教室が継続して開催されているほか、弟子の1人は房総張子の屋号で張子の制作を続けている[1][8][9]

脚注

  1. ^ a b c 『はじめましての郷土玩具』グラフィック社、2015年3月、36-39頁。ISBN 978-4-7661-2698-3 
  2. ^ 「郷土玩具の佐原張子 愛らしさ、素朴な味わい」『千葉日報』2018年8月20日、朝刊4頁。
  3. ^ 『千葉大百科事典』千葉日報社、1982年3月、195頁。 
  4. ^ a b 『郷土玩具図説 第1巻』村田書店、1980年11月、223-238頁。 
  5. ^ a b 『郷土玩具の旅』芸艸堂、1981年4月、82頁。 
  6. ^ 平成10年特殊切手「平成11年用年賀郵便切手」”. 日本郵便. 2025年7月18日閲覧。
  7. ^ 『図説 日本の町並み 第3巻(関東編)』第一法規出版、1982年7月、130頁。 
  8. ^ 「傘寿の師の下修行 大学院で伝統工芸学ぶ」『千葉日報』2016年1月25日、朝刊10頁。
  9. ^ 「佐原張子」唯一の職人、鎌田芳朗さんが60周年記念展 千葉”. 産経新聞社 (2014年6月24日). 2025年7月18日閲覧。

関連項目



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「佐原張子」の関連用語

佐原張子のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



佐原張子のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
内閣府NPOホームページ内閣府NPOホームページ
Copyright (c)2025 the Cabinet Office All Rights Reserved
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの佐原張子 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS