佐久良東雄旧宅
名称: | 佐久良東雄旧宅 |
ふりがな: | さくらあずまおきゅうたく |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 茨城県 |
市区町村: | 新治郡八郷町 |
管理団体: | |
指定年月日: | 1944.03.07(昭和19.03.07) |
指定基準: | 史8 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | 佐久良東雄文化八年三月二十一日常陸國新治郡浦須村(今の林村大字浦須)に生れ幼にして出家せしが尊皇の志深く後ち還俗して王事に奔走するところあり萬延元年三月幕府の爲に捕へられ六月獄中に卒す、其の和歌は皇國の大義を詠じて餘蘊なく又其の子に與へたる遺言書は盡忠の道を悉せるものとして極めて貴重なり。 宅は其の生誕し幼時を過せし處にして字長家に在り低夷なる丘陵の裾に南面して存す正面に長屋門を構へ中庭を隔てゝ茅葺平家建の母屋あり、母屋は向つて右側に土間、左側に所謂田字形の配置を爲せる部屋を設けたるものにして嘗て稍々後方に引かれ又椽廻に夛少改修の跡ありと雖極めてよく舊規模を存せり。 |
佐久良東雄旧宅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/28 09:01 UTC 版)
東雄が幼少時を過ごした生家は、1944年に国の史跡に指定された。正面に長屋門を構え、中庭をへだてて茅葺平屋建の母屋を有している。母屋の向って右側には土間、左側にはいわゆる田の字型の配置をした部屋が見られる。母屋の建物時期は正確には明らかにされていないが、広間型の旧式の間取りや構造手法、表門の建立許可文書などから、18世紀中期から末期、宝暦から天明期の建築と推定されている。屋敷はもと恋瀬川付近の平坦地に建てられ、氾濫のために現在地へ移築されたと伝えられるが、それに関しては史料が残されていない。飯島家は浦須村名主と鍛冶屋を兼業してきたが、明治初年頃に鍛冶屋を廃業している。建物も幾度かの修理を経てはいるが、常陸地方の旧民家の特徴をよく残しており、高い価値を認められている。 史跡(国指定) 佐久良東雄旧宅 茨城県石岡市浦須314-1 指定年月日 1944年(昭和19年)3月7日
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