伝馬役問題とその解決
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/19 20:26 UTC 版)
仙台藩では要害や所の館を伊達氏一族や有力家臣を配し半独立領主として扱っていたのに対し、吉岡宿は1500石の但木氏の領地内であり仙台藩の直轄領ではなかった。そのため、ほかの宿場と違い、仙台藩から伝馬御合力(助成金)が給付されず、重い課役に苦しみ、「吉岡宿に家屋敷を持つのは損」と考えた住民が少しずつ離れ、衰亡の危機にあった。 宿場の運営は豪商が行っていたが、商人の穀田屋十三郎[高平重三郎](1720年 - 1777年)と菅原屋篤平治[笠原篤平治]は吉岡宿の住民の貧困をなんとか救いたいという願いから、武士が百姓から米を獲うだけの世の中に疑問を呈し、逆に百姓が武士から金を取るあべこべの仕組みを作ることを思い立つ。黒川郡の大肝煎の千坂仲内に相談を持ち掛けるなどして賛同を得、同志と合わせ9名で足かけ8年、銭湯には入らず水垢離をとり、断食までして小銭を貯めた。 彼らの構想は、1000両という大金(現在の金額でおよそ1億円 - 3億円)を8年かけて捻出し、その金を仙台藩に貸付けて、年末に受け取る1年ごとの利子で宿場を運営するものであった。何度も藩への願い上げを重ね、1773年頃に成就した。その恩恵を受けた吉岡宿は毎年暮れになると利息の100両を手にし、吉岡宿は幕末に至るまで人口が減ることはなかった。 この顛末については、21世紀になって以下のような顕彰や紹介がなされている。 2003年(平成15年) 大和町の有志らにより、九品寺(吉岡)に、国恩記顕彰碑(写真)を建立。 2012年(平成24年) 歴史家・磯田道史の評伝『無私の日本人』(3人の人物を紹介)の中で穀田屋十三郎がその1人として取り上げられた。 2016年(平成28年) 『無私の日本人』をベースとした映画『殿、利息でござる!』が公開された。 2016年(平成28年)5月7日 吉岡宿を題材とした映画『殿、利息でござる!』が全国上映されることに伴い、「吉岡宿本陣案内所」を開設。
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