他のシーンとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 05:14 UTC 版)
「ベイエリア・スラッシュメタル」の記事における「他のシーンとの関係」の解説
南カリフォルニアのヘヴィメタルシーンは1970年代から発達していたが、この場所は1980年代にはスラッシュ四天王(所謂Big Four)のうちの2バンド、スレイヤーとメガデスの拠点でもあった。しかし、ロサンゼルス内のシーンでは、1980年代中頃から1990年代初頭にかけて、グラムメタルが人気を誇ることになる。 だが、スレイヤーとメガデスはキャリアの初期にベイエリアのライヴハウスで活動を行なったことで、認知を得ていった。1984年から1985年にかけて、エクソダスとともにバークレーのRuthie's Innという場所でライヴを行なっているが、ここもベイエリアのライヴハウスである。このライヴを行なったのは、ちょうどケリーキングがメガデスでムステインとプレイしていた時期でもあった。スレイヤーを結成したジェフ・ハンネマンはオークランド出身である。ポール・ボスタフは1990年代にスレイヤーのドラマーを務めている。同様に、デイヴ・ロンバードは2004年にスレイヤーへ再加入する前にテスタメントのアルバム『ギャザリング(英語版)』にドラマーとして参加している。 当時のロサンゼルスのスラッシュメタルシーンの音楽性について、ダーク・エンジェルのギタリストジム・ダーキンは以下のように述べている。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0} LAは治安が良くなかったし、LAのバンドは常に怒りを込めていた。ワイルドだったんだ。俺もケリーもジェフもサウスゲートという、治安が最悪なところで育った。金はなかったし、ムカツクことが多かったよ。 ドラマーのジーン・ホグランは、ベイエリアのシーンはバンド同士の仲が良く団結していたが、LAのシーンはお互いにライバル心を抱いていてギスギスした雰囲気であったと証言している。このように、ロサンゼルスとベイエリアのシーンは距離も遠く、音楽性など違う点も多かったが、その一方で交流は活発に行われていたし、スラッシュメタルへの情熱という点では共通していた、とダーキンは述べてもいる。 コンコード出身のドラマーChris Reifertは、1987年にDesecrationのライヴでゲストミュージシャンとして参加している。これに先立って、Reifertはチャック・シュルディナーとも知り合っている。シュルディナーはフロリダから、ベイエリアにあるReifertのホームタウンへとデスの拠点を移していたのである。北カリフォルニアのスラッシュシーンが盛り上がってるのを見て取ったシュルディナーは1985年にベイエリアに移り、短期間ではあるが、ドラマーのEric Brechtとコラボしている。この時、エリック・ブレヒトはちょうどクロスオーバー・スラッシュバンドのD.R.I.を抜けたばかりだった。彼は後にAttitudeにも参加している。しかし、デスがコンバット・レコード(英語版)との契約にこぎつけ、1stアルバムの『Scream Bloody Gore』をリリースすることになるのは、シュルディナーとReifertとのラインナップでのことであった。前述したように、このデビューアルバムはポゼストの『Seven Churches』と並んで、スラッシュメタルとデスメタルの橋渡しとなった作品の一つと考えられている。ちなみに、『Scream Bloody Gore』も『Seven Churches』もランディ・バーンズによってプロデュースされている。 1987年、『Scream Bloody Gore』をリリースしたシュルディナーがフロリダへと舞い戻ったすぐ後に、Reifertは自身のバンドオートプシーを結成することになる。オートプシーもデスメタルというジャンルの勃興に影響を与えた存在とみられている。オートプシーの1989年のデビューアルバム『Severed Survival』にはベーシストとしてスティーヴ・ディジョルジオが参加しているが、彼はアンティオックのスラッシュメタルバンドSadusを結成した人物である。シュルディナーもベイエリアに住んでいるときにディジョルジオと出会っており、この時の出会いがきっかけで、ディジョルジオは後にデスのアルバム『ヒューマン』と『インディヴィジュアル・ソート・パターンズ』に参加することになる。 デスメタルというジャンルにReifertが影響を与えた作品としては、1992年にリリースした『Acts of the Unspeakable』がある。このアルバムにはベーシストのJosh Barohnが参加しているが、彼はニューヨークのデスメタルバンドサフォケイションのデビューアルバム『Effigy of the Forgotten』でもベースを弾いている。
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