今泉不動
称名寺 (鎌倉市)
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称名寺 | |
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![]() 本堂 |
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所在地 | 神奈川県鎌倉市今泉4-5-1 |
位置 | 北緯35度20分36秒 東経139度33分58秒 / 北緯35.343222度 東経139.566083度座標: 北緯35度20分36秒 東経139度33分58秒 / 北緯35.343222度 東経139.566083度 |
山号 | 今泉山[1] |
院号 | 一心院[1] |
宗派 | 浄土宗[1] |
本尊 | 来迎阿弥陀三尊 |
創建年 | 伝・弘仁9年(818年)[2] |
開山 | 空海(伝)[1] |
中興年 | 貞享元年(1684年) |
中興 | 直誉蓮入 |
正式名 | 今泉山 一心院 称名寺 |
別称 | 今泉不動、元不動 |
文化財 | 本尊木造阿弥陀如来像(阿弥陀聖衆来迎像)、観音菩薩像、勢至菩薩像など[3] |
法人番号 | 4021005001903 |
歴史

弘仁9年(818年)空海の創建と伝わる不動堂が寺院の興りとされ[2]、宝永5年(1708年)成立の「今泉村浄土宗称名寺不動堂縁起」に次のような伝説が伝えられている[4]。
諸国巡行で鎌倉に入った空海は、山中で数千年間も大師の到来を待望していたという翁媼の仙人に出会った。彼らから不動像を彫って檀林を築くようにと告げられたので、不動明王と大黒天の像を刻んで祀り、村人らと祈祷を捧げた。
すると翁媼の再度の告げを受けたので、その通りに傍らの岩に2つの穴を掘り祈祷したところ、2本1対の「陰陽の滝」が湧き出て、渇水が解消された。以来、それまで金仙山と呼ばれていた当地は今泉山と呼ばれるようになった。[2][3][5]
現在に続く称名寺の前身は、この不動堂の別当寺であった円宗寺である[2]。真言宗(密教)を宗旨とする八宗兼学の道場で、建久3年(1192年)白山神社神主一族の家系の寂心法師という僧侶による創建という。鎌倉時代に鎌倉幕府の歴代将軍や執権一族北条氏の信仰を集めた[4][3][6]。しかし、幕府滅亡後は信仰が衰退して伽藍は廃絶、無人となり各仏像は岩屋に安置されることとなった[5]。
江戸時代に入り貞享元年(1684年)、江戸深川の僧侶
江ノ島弁財天に参拝すると当寺の不動明王に祈祷するように告げを受けたので、当寺へ入り7日間祈祷すると、大黒天像の袋から毎日米が溢れた
。これを受けて6月、不動堂と阿弥陀堂(本堂)が建立された。縁起により参拝する信徒は増え、豊穣の利益が評判であったという[5]。本堂右には、この由縁に基づいて弁財天を祀る弁天堂がある[2][5]。
元禄6年(1693年)、増上寺の末寺となって浄土宗に改宗。同寺37世貞誉了也より「今泉山一心院称名寺」と号を授かり、現在の状態となる[3]。寺宝の一つに元禄15年(1703年)銘の鐘が伝わっていたが、これは第二次世界大戦における金属類回収令により1945年(昭和20年)供出され現存しない[6]。
散在ガ池などのある近隣山域一帯は全て称名寺の所有であったが、江戸末期の安政年間に当時の住職が大船、岩瀬、今泉の3部落へ無償で分与した。この分与が「散在」の呼称の由来であるという[7]。
本堂は2013年(平成25年)に改修工事が行われている[2]。銅葺の今泉不動堂も、近年の建て替えが行われている[5]。
伽藍
庫裏、本堂、弁天堂、書院と続き、石段上に不動堂がある[5]。
本堂には本尊阿弥陀如来が非公開に祀られている。木造、来迎形で、輪王坐の観音菩薩・勢至菩薩像を両脇侍に、楽器を持つ二十五菩薩を従え聖衆来迎をなす。平安時代の作との誤謬された説もあるが、正しくは前述された中興の際に刻まれた江戸期の作である[5]。
不動堂内、「元不動」「今泉不動」と通称される根本の不動明王像も秘仏である。外部より窺える堂の内部には、前立仏としての不動明王像が、二童子を脇侍とし八大童子像とともに安置されている。また堂背後には、大日如来及び三十六童子の石造が階段状に安置されている[5]。以前の不動堂は元不動と称する、谷のより奥にあった。跡地には小さな石造不動明王像が置かれている[8]。
堂下に、伝説にもみられる「陰陽の滝」という男女2流1対の滝がある。かつてはこの滝で滝行が行われていた。
滝行者のために大正4 – 5年(1915年 – 1916年)にはおこもり堂が再建されたが、1923年(大正12年)の関東大震災で倒壊している。宮内庁より下附金を受けて再建後は、精神科病院の予後の人々を収容し保護療養する施設(治療なし)となっていた。戦時中は海軍の小隊の仮包帯所として使われ、戦後は引揚者収容所になるなどしていたという[8]。
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本堂
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弁天堂
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不動堂に続く階段
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不動堂(今泉不動)
所在地
脚注
- ^ a b c d 「山之内庄今泉村不動堂別当称名寺」『大日本地誌大系』 第40巻新編相模国風土記稿5巻之99村里部鎌倉郡巻之31、雄山閣、1932年8月。NDLJP:1179240/48。
- ^ a b c d e f g 槇野修、山折哲雄『鎌倉の寺社122を歩く』PHP研究所〈PHP新書〉、2013年3月20日、314-316頁。ISBN 978-4-569-81035-5。
- ^ a b c d 『鎌倉の寺 小事典』吉田茂穂 監修、かまくら春秋社、2011年12月30日、196-197頁。 ISBN 978-4-7740-0173-9。
- ^ a b c 奥富敬之『鎌倉史跡事典』新人物往来社、1997年3月15日、176頁。 ISBN 4-404-02452-5。
- ^ a b c d e f g h i 鎌倉市教育センター 編『鎌倉子ども風土記』(第13版)鎌倉市教育委員会、2009年3月31日、227-228頁。国立国会図書館書誌ID: 033224656。
- ^ a b 『鎌倉古社寺辞典』吉川弘文館、2011年7月10日、100-101頁。 ISBN 978-4-642-08060-6。
- ^ “散在ガ池森林公園の紹介”. 鎌倉市. 2025年8月21日閲覧。
- ^ a b 鎌倉市史編纂委員会、亀井高孝 編『鎌倉市史 社寺編』(2版)吉川弘文館、1967年10月31日(原著1959年10月20日)、433-434頁。 NCID BN0685260X。NDLJP:3013447/440。
関連項目
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