人物・音楽
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1988年、パガニーニコンクール終了後の受賞記念パーティで、審査員のヘルマン・クレバースに助言を望み、「音程の取り方を勉強しなさい」と指導される。技術的なミスや音程外しはしていないので、その時は意味がわからなかったが、国際コンクール参加を重ねて、日本人の肉体的な条件もある音色の弱弱しさが弱点となる。また日本人独特の高音に偏る音色感に欧米では違和感を抱かれるのだと理解した。 1991年3月に、アイザック・スターンに演奏を聴いてもらう機会があり、今までのように先生から教えられたとおり弾くのではなく、自分で自筆譜までさかのぼって解釈して演奏するよう指導された。大学1年生で、コンクール参加から一人の演奏家へと踏み出して、音楽に明け暮れるこれまでの生活で、一般教養の不足を自覚し自己の活動と音楽形成にも影響していると痛感した。いったん演奏活動を中止し、ジュリアード学院留学、コロンビア大学で受講した。コロンビア大学学部長に相談すると、哲学や、歴史的な背景などアカデミックな別の視点から音楽を見るには、「政治思想史」の授業で学ぶのがいいと示唆された。 オーケストラ参加は、サイトウ・キネン・オーケストラで1回したが、ソリストとしての活動を重点にしているため向いておらず、楽団演奏の共同で音を調和させることに慣れず、終了後にもソリストの音色に戻るのに困難をきたすため、その際だけとなっている。 2020年段階で、年間約200日間は公演の旅に出ている。
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人物・音楽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 05:57 UTC 版)
ソリストとしての活動が主体である。 極端な夜型、集団学習の苦手意識から、大学中退以後の留学先では、師匠の推薦状によりビザを取得、プライベートレッスンで研鑽を重ねた。 師匠でありモスクワ音楽院出身のラザール・ベルマンは、同音楽院在学中、名教師として名高いアレクサンドル・ゴリデンヴェイゼルに師事。そのゴリデンヴェイゼルは同音楽院在学時に級友であるセルゲイ・ラフマニノフとともにアレクザンドル・ジロティ教授に師事。ジロティは年の離れた従兄弟・ラフマニノフにモスクワ音楽院への入学を勧めた人であり、また、フランツ・リスト晩年の高弟として最も有名な20世紀初頭のロシア音楽界の重鎮であった。つまり、ラザール・ベルマンはリスト、ラフマニノフの音楽の正統な流れを汲むピアニストであり、そのベルマン最晩年の弟子である山岸ルツ子はフランツ・リスト最後の直系であると言える。
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