人口統計と政治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 20:07 UTC 版)
現在、ドンバスの大部分をロシア語使用地域(英語版)が占める。ドンバスにロシア人少数派の要人が暮らすものの、人口の多数はウクライナ人である。2013年-2014年のウクライナ危機以前、地域の政治は「地域党」によって支配されていた。前大統領ヴィクトル・ヤヌコーヴィチをはじめ、党の主要人物はドンバス出身だった。 ロシア起源の住民たちは、主に大都市の中心部に集中していた。大都市とりわけドネツィク、ルハーンシク両州においては母語としてロシア語が優勢である。ロシア語を共通語として話すウクライナ人は多い。 産業化の過程でこの地域に新たな都市がつぎつぎと開かれると、多くのロシア人(特にクルスク州出身)が流入し、東ウクライナの諸都市でロシア語が重要になる。 農村地帯へのロシア語の拡大は研究のテーマとして今も論争が続くが、これら2州では一般的に、それを裏付ける調査結果は出ていない。 ロシア語が母語だと申告する人々にはウクライナ人と他国人がいるため、ロシア語話者は国籍上のロシア人の人口を上回り、ドネツィク州で74.9%、ルハーンシク州で68.8%を占めた。2001年時点で、少数派ロシア人の割合はドネツィク38.2%、ルハーンシク39%だった。 ドンバスには比較的大きなムスリムのコミュニティーがあり、いくつかの地域では人口の20%に達する。 言語学者George Shevelovによると、ソビエト連邦政府はウクライナ社会主義共和国内のすべての学校に、ウクライナ語で授業を行うように命じたというが(ウクライナ化政策の一部として)[いつ?]、1920年代初頭、ウクライナ語を教える中学校の割合はドンバスのウクライナ人の割合を下回った。ウクライナで行われた地域的帰属意識の調査によればドンバス住民のほぼ40%が「ソビエト帰属」を意識すると回答している。 セーデルトーン大学(英語版)のRoman Horbykは「不完全かつ廃れた制度」により、20世紀に栄えた鉱山や工場がウクライナ人とロシア人の居住区の境界にあったため、ドンバス住民すなわち周辺から流入したはずの出稼ぎ農民は地域社会にとけ込むことができず、現代的郊外としての性格(全国的に見られる新しいアイデンティティ)が顕著に強まる妨げになったと主張する。
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