京都延長線の建設での問題と完成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 04:34 UTC 版)
「奈良電気鉄道」の記事における「京都延長線の建設での問題と完成」の解説
桃山 - 伏見は省線伏見貨物線を共用するべく鉄道省に申請し、建設に向けて諸準備を進めたが、伏見町からは町内を高架にするように要求が出される。共用部分については、貨物線工事費を鉄道省が分担することを求めたが、当時同線の貨物列車は1日5往復程度であったことから、多額の工事費を負担するなら廃止する意向を示し、奈良電が高架で建設をすることを条件に払下げることが示された。また、奈良鉄道時代より竹田街道で京都電気鉄道(後の京都市電)伏見線と平面交差しており、衝突事故もあったことから、それも避けるためとされる。[要出典]そこで奈良電も第2伏見高架橋(全長1008 m )を建設することになる。 また、京都駅への乗り入れは東海道線を跨線し、高架で烏丸口(北側の中央口)側に駅を設ける予定であったが、大典までに全線の工事を完成させ、営業を開始することが急務であり、また、鉄道省より『差當リ省ノ裏側ニ於イテ之ヲ為シ、速成ヲ期スル候條、實施計畫ニ當リ右考慮相成度』との通牒(通達)を受け、神戸鉄道局に京都駅乗入仮設許可申請を、1927年(昭和2年)12月29日に提出し、1928年(昭和3年)5月11日に許可された。この仮設駅はその後移設されることもなく、東海道新幹線が建設される際にはその直上に新幹線の線路とプラットホームを設置し、同時にこの奈良電の駅施設も高架化されている。なお、烏丸口までの本工事はその後工事施行認可期限延長を経て、近畿日本鉄道合併後の1963年(昭和38年)に失効している。
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