京成電鉄からの独立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 15:53 UTC 版)
「ちばフラワーバス」の記事における「京成電鉄からの独立」の解説
以上のように成東地区のバスは路線網の縮小が続き、結局、京成電鉄は直轄による運行から、新たに設立した別会社への運行に切り替え、地域交通専業の形を取ることとした。ただし分社化の形態としては、1991年10月2日に設立された有限会社冷熱サービスを1994年(平成6年)8月2日に「ちばフラワーバス株式会社」に社名変更し、業種を変更する形とした。このため、会社の設立年とバス事業の開始年は4年ほど離れている。ニュータウン団地輸送のため補助金を目的として1970年代に会社設立された千葉海浜交通や千葉内陸バスを除けば、京成電鉄直営のバスとしては初めての分社化となった。 分社化に伴い、1995年(平成7年)4月1日に特急バスであるフラワーライナーと、成東駅発着系統(東金線成東発着便の約半数の便と八街線の東側、海岸線、武射田線)を京成から引き継いだ。これと同時に京成電鉄成東営業所は廃止され、施設をちばフラワーバスがそのまま使用することになったが、成東営業所の車庫だった中野操車場は、京成電鉄千葉営業所中野車庫となった。このため、東金線のうちJR千葉駅発中野操車場折り返し便と成東駅折り返し便の一部、八街南線、都賀線、新八街線、千城台線および宮田線が京成の千葉営業所担当となった。 さらに1998年(平成10年)4月1日、京成の千葉営業所が新宿から御成台に移転したのと同時に、千城台・都賀以東のローカル線はほとんどがちばフラワーバスに移管され、主力である東金線も中野操車場以東はちばフラワーバスの単独運行となった。また中野車庫もちばフラワーバスの所属となり、よって京成のバスは千葉営業所の「中野線」として、同所を単に折り返し場としてのみ使用することとなった。これにより、ちばフラワーバスの営業エリアはかなり広がった。そして1999年(平成11年)12月16日には、千葉線の中野操車場以西においても全便を担当するよう変更された。こうして従来は京成電鉄成東営業所が関わっていたすべての路線が、段階的にちばフラワーバスに移管された。 詳細は「京成バス千葉営業所#分離子会社への移行と一般路線縮小」および「ちばシティバス#沿革」を参照
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