ごきょう 【五経】
五経
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/11 15:27 UTC 版)
五経(ごけい・ごきょう)または六経(りっけい・りくけい)は、漢代に官学とされた儒学における経書の総称。「六経」とは『詩』(詩経)、『書』(書経)、『礼』(礼記)、『楽』(楽経)、『易』(易経)、『春秋』の6つの経書を言うが、このうちはやくに失われた『楽』を除いた5つの経書を「五経」と言う。伝統的な儒教の考えでは、孔子以前に編まれた書物を原典として孔子の手を経て現在の形になったと考えられている。
- ^ 菅原正子「足利学校の学問と教育」『日本中世の学問と教養』同成社、2014年 ISBN 978-4-88621-673-1)
五経
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 00:22 UTC 版)
儒教の経典は『易』・『書』・『詩』・『礼』・『楽』・『春秋』の六芸(六経)である。 春秋時代になり、『詩』・『書』・『春秋』の三経の上に、『礼』・『楽』の二経が加わり、五経になったといわれる。 『詩』・『書』・『礼』・『楽』の四教については「春秋を教うるに礼楽を以てし、冬夏は教うるに詩書を以てす」、『礼記·王制』における「王制に曰く、楽正、四術を崇び四教を立つ。先王の『詩』・『書』・『礼』・『楽』に順いて以て士を造(な)す」という記述がある。 孔子は老聃に次のようにいったとされる。孔子は詩書礼楽の四教で弟子を教えたが、三千人の弟子の中で六芸に通じたのは72人のみであった。 漢の武帝のとき、賢良文学の士で挙げられた董仲舒は儒学を正統の学問として五経博士を設置することを献策した。霊帝のとき、諸儒を集めて五経の文字を校訂、太学の門外に石経を立てた。このとき作られた熹平石経は183年(光和6年)に完成し、『易経』『儀礼』『尚書』『春秋』『公羊』『魯詩』『論語』の七経からなった。 経伝記注疏易経 周易正義 尚書 尚書孔安伝 尚書正義 詩経 毛詩 毛詩正義 楽経 儀礼 礼記 儀礼注疏、礼記注疏 周礼 周礼注疏 春秋 春秋公羊伝 春秋公羊伝注疏 春秋左氏伝 春秋左氏伝注疏 春秋穀梁伝 春秋穀梁伝注疏 論語 論語注疏 孝経 孝経注疏 孟子 孟子注疏 爾雅 爾雅注疏
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