五箇条の御誓文
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 15:04 UTC 版)
詳細は「五箇条の御誓文」を参照 江戸幕府による大政奉還を受け、王政復古によって発足した明治新政府の方針は、天皇親政(旧来の幕府・摂関などの廃止)を基本とし、諸外国(主に欧米列強国を指す)に追いつくための改革を模索することであった。その方針は、翌慶応4年(1868年)3月14日に公布された五箇条の御誓文で具体的に明文化されることになる。合議体制、官民一体での国家形成、旧習の打破、世界列国と伍する実力の涵養などである。なお、この『五箇条の御誓文』の起草者・監修者は「旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ」を全く新たに入れた総裁局顧問・木戸孝允(長州藩)であるが、その前段階の『会盟』五箇条の起草者は参与・福岡孝弟(土佐藩)であり、更にその前段階の『議事之体大意』五箇条の起草者は参与・由利公正(越前藩)である。 その当時はまだ戊辰戦争のさなかであり、新政府は日本統一後の国是を内外に呈示する必要があった。そのため、御誓文が、諸大名や、諸外国を意識して明治天皇が百官を率いて、皇祖神に誓いを立てるという形式で出されたのである。さらに国民に対しては、同日に天皇の御名で「億兆安撫国威宣揚の御宸翰」が告示され、天皇自身が今後善政をしき、大いに国威を輝かすので、国民も旧来の陋習から脱却するように説かれている。 これらの内容は、新政府の内政や外交に反映されて具体化されていくとともに、思想的には自由民権運動の理想とされていく。 また、この目的を達するための具体的なスローガンとして「富国強兵」「殖産興業」が頻用された。
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